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目次

(31)HP開設1周年を迎えて             (2003年2月7日)
(32)卒業生を送り出して               (2003年3月29日)
(33)プロジェクトXの講演を聴いて          (2003年3月29日)

(34)「嘘つき男と泣き虫女」を読んで        (2003年4月20日)
(35)「人間尊重の経営」とこれからの人材育成  (2003年5月23日)

(36)デジカメの座談会に参加して          (2003年7月3日)
(37)初めての運動会                 (2003年10月16日)
(38)グレートジャーニーの講演を聴いて      (2003年11月3日)

HP開設1周年を迎えて

 
早いもので、きたさんチャンネルを開設してから1年がたちました。
8500人のアクセスをいただき、本当に皆さんのおかげと感謝しています。
これからも気張らずにマイペースで長く続けられるようにしたいと思って
います。

 特に考えることもなく何となくホームページを作ってみようかなと一昨年
の12月に思いだし、コンテンツを考えました。野球のこと、ふたごのこと、
楽しい話などを書いたらどうかなと考えました。たまたま、ホームページ
作成のソフトを手に入れたこともあり、野球も冬の間は、暇なときもあるので
空いている時間にHP作成をすることになりました。結構はまるものです。

 年明けにまず、掲示板用を作りました。生徒でもあり、師匠でもある
ちーまーに無料掲示板のサーバーを紹介してもらい、登録しました。
これは特に問題はありませんでした。一人寂しく書き込みしていました。
(昔の掲示板参照)

 そして、いよいよHPを立ち上げようとしました。1月下旬からです。
まず問題は私の契約しているプロバイダーの無料HPがパンクしていたこと
です。そこで、どこのサーバーを選ぶかということになり、HPの大先輩神着
さんに今のサーバーを紹介していただきました。神着さんはそのあと、短い
URLにするためにお金を払ってサーバーを使っています。わたしはそのまま
です。

 2月1日ついに、立ち上げるつもりでした。サイトを転送してさあ見ようと
すると全く見ることができません。いろいろやってもだめ。ちーまーや神着
さんにいろいろとご指導していただき、トップページは「index.html」で
なくてはいけないことがわかり、やっとの思いで2月3日に立ち上げることが
できました。

 いろいろな人に連絡して、見てもらいお祝いの書き込みまでしていただき
ました。(昔の掲示板参照)写真のことや野球の結果の書き方、コンテンツ
の内容へのアドバイスもたくさんいただきました。最初は、写真のファイルの
大きさが大きすぎ電話線の方には全く見ていただくことはできませんでした。
急いでファイルの大きさを小さくしました。

 HPを立ち上げた時期が担任をしている学年の2年から3年ということも
あり、おほむらさき祭(合唱祭・体育祭・文化祭)の時期には書き込みが
いろいろとあり、苦しんだり、頑張ったり、感動したりと良い感じの掲示板
にもなりました。誰が書き込みしたかがわからないのも面白いものです。

 夏には、野球の予選があり、OBの皆さんからも書き込みやメールを
頂いてHPを立ち上げて本当に良かったと思いました。母校に対する
OBの思いが伝わってきました。

 昨年末からは、センター入試に向けての書き込みが増え、みんなが
苦しんでいる様子がわかりました。受験が終わって卒業してもこ書き込んで
欲しいなと思っています。

 掲示板だけでなく、コンテンツをさらに充実できるようにいろいろ考えて
行きたいです。皆さんからも新しいコンテンツのヒントをいただければと
思います。とにかく、あまり頑張らずに、マイペースで続けていきたいです。

 これからも「きたさんチャンネル」をよろしくお願いします。

(03 2/7)
卒業生を送り出して

 この春、教師生活4回目。北高で初めての卒業生を送り出しました。
1回の担任では3年間持ち上がりなので、21年の教師生活のうちに
12年間担任をしていることになります。多いのか少ないのか。

 北高の担任は、今までの学校の担任とはだいぶ違いました。最初の
工業高校では、全学区のため江戸川から来る子もいれば、御獄から
来ている子もいるというように広い通学区域でした。しかも悪さをする子
がいて、家庭訪問に奔走し帰るのが12時なってしまうこともありました。
クラス替えもなく本当に3年間同じ担任でした。40人でスタートした
クラスでしたが卒業したのは28人。新規採用の私には厳しかったです
が、いい経験をさせてもらいました。そして、そのクラスの生徒の結婚式
の仲人をさせてもらい感激でした。

 次の学校での担任もなかなか大変でした。1回目も2回目もいろいろな
ことがありました。生徒指導の厳しい学校でした。生活指導担当の私は
生徒とぶつかることも多かったですが、卒業したあとも家に遊びに来て
くれたりして、卒業してからの方がフランクにつきあえるようになりました。
苦労させた生徒が幹事でクラス会を開いてくれたりありがたいことです。

 野球大好きの私ですが、野球部を指導するのとクラス担任とでは違う
楽しさがあります。いろいろな考えを持った生徒に自分の進路を考えさ
せ行事にも参加させて、自分自身を確立させていく手伝いをするのが
担任です。非常にやりがいのある分掌です。担任がないとやはりつまら
ないものです。教科を教える1教師と担任とでは大きな違いがあります。

 北高での担任は、今までにくらべ楽と言えば楽。でもやる気のある生徒
につきあうのは大変です。こちらが出しゃばりすぎてもいけない。難しい。
ただ、この3年間で後悔しているのは、勉強をそこそこする生徒を見て
いると今までの学校からすれば「いい子」という感じがするので、今まで
にくらべ甘やかしてしまったというか基本的な生活習慣などの指導が
やや甘かったということです。勉強ができることと基本的生活習慣が身に
付いているのとは別問題であることがわかってきました。掃除の指導や
言葉遣いそして人様への感謝の心はもっと徹底するべきなのでしょう。

 この間の調査で自宅学習の時間があまりにも少ない現状がわかりまし
たが、北高はなんとか勉強中心の生徒が多いはずです。たしかに行事に
対する盛り上がりにくらべると歯がゆいものがありますが、根はまじめな
生徒が多いのですから、もっといろいろな面でのばしてあげられるはずです。

 しかし、この3年間は本当に楽しいものでした。行事のたびに泣かせて
もらいました。合唱祭がある高校も母校以来初めての経験。演劇をしたの
も初めての経験でした。素晴らしい3年間をありがとう!教育実習で母校に
戻ってくるのを楽しみにしています。

 校長先生がおっしゃる「一生懸命が恥ずかしくない学校」「スモールイズ
ビューティフル」の学校。「おほむらさき」の学校をこれからも大事にして
さらに良き伝統と新しい北高の発展に貢献できたらと思います。

 次の担任はあと何年後かわかりませんが、できるだけ早く北高での
担任をしたいと思う今日この頃です。担任をしてこそ教師。本当にいつに
なったらさせてもらえるかなあ。

(03 3/29)
プロジェクトXの講演を聴いて

 先日、東京都福利厚生事業団主催の講演会に行って来ました。NHKの
人気番組「プロジェクトX」の司会者である国井雅比古さんの講演。演題は
「無名の英雄〜プロジェクトXの挑戦者たち!」でした。

 プロジェクトXといえば、最初の司会者の久保純子さんは、北高に在学して
いました。今や平均視聴率14%の人気番組になっています。また、主題歌
の中島みゆきさんの「地上の星」は、発売以来もっとも遅くオリコン第1位に
なった曲になり、昨年の紅白では黒部ダムからの中継が話題になりました。

 今や人気番組のプロジェクトXも最初は、1年持てばいい、もしかしたら
半年で終わりかもという感じだったそうです。番組の題名である「プロジェクト
X」もXのところに「グレートチャレンジ」とかを入れようとしているうちに時間
がきてしまい、そのままスタートしたそうです。

 番組制作に携わるのは、ディレクター6人、デスク2人、チーフプロデユー
サー(CP)1人の9人。毎週の番組を9人で制作しているのだそうです。
放送しながら常に4,5本分の取材をするというまさに自転車操業。2人の
デスクは家にも帰ることができず、奥様がノイローゼになってしまったそう
です。プロジェクトX最終回は、プロジェクトXを制作した人たちを使ったら
どうだと本気で言っているそうです。

 4月からの番組を検討しはじめたのが1月から。1年間で50回分のネタ
探しからスタート。みんなが持ち寄った無名の英雄の数は50人ぐらいしか
いない状態。全部が採用されるはずもなくどうなることがまったくわからない
状況でした。そして、第1回の富士山レーダーのデモテープができたのが
放送2週間前。視聴者の反応を見るために試写会を開き、各年代の意見を
聞くことになりました。

 ドキュメンタリー指向のCPは、できた作品が完成すればOKという立場。
スタジオのことは考えていません。できた作品を解説するコメンテーターを
誰にするかということになり、無名の英雄がほとんど男性だったので
スタジオにはきれいどころがいるでしょうということになり、登山もする女優
松坂慶子さんが選ばれました。

 いよいよ試写会。30分番組を各世代に見てもらったところ、40から60歳
の女性に非常に不評。「この番組に松坂慶子さんが出る必然性がない」と
猛烈な指摘がありました。また、「無名の英雄たちにスタジオにきてもらった
らどうだろう」という指摘です。制作者側からは絶対に考え出されないような
アイデア。これはのちにプロジェクトXのポリシーにもなってきます。最初の
半年までは、きれいどころがでたりでなかったりを繰り返していましたが、
現在では、できるだけご本人に出演していただくこと、現場主義で必ず現場
に行って確認すること、そして、写真・ビデオもあるかぎり使うこと。これが、
プロジェクトXの考え方であり、実際に支持されていることだと思います。

 最初は、ネタ探しが大変でしたが、放送が順調になってくると自分から
これを取り上げて欲しいという売り込みがでてくるようになりました。
また、あるプロジェクトを取り上げるとその製品のCMになってしまうという
問題がでてきました。特にNHKですから、厳しいところがあります。
例えば、エレクトーンは電子オルガン、キャタピラーは無限軌道、セメダイン
は接着剤。TOTOのウォシュレットは温水洗浄便座などと翻訳しなくては
なりません。面白いのは「夕張メロン」はダメで「夕張のメロン」ならいいの
だそうです。

 そんなことを心配している中で、ビクターのVHS開発に携わった高野鎮雄
さんの話は感動的でした。ビクターとSONYの名称を使わないで番組は
できないと判断し、そのまま放送しました。高野さんの社葬のビデオテープ
が放送の数日前に見つかり感動的な放送になりました。窓際族からの
大逆転はドラマとしてもすごいし、高野さんの人柄と行動力が伝わる番組に
なりました。

 その放送後の反響はといえば、まったくおしかりの電話はなくSONYの
担当者からも「良い番組でした」とお褒めの言葉をいただいたそうです。

 この講演の中には、青函トンネルの工事のこと、浅間山荘事件の突入
のときのクレーン車のこと、黒部ダムの資材を運んだ90歳の職人さんの話
などたくさんのお話がでてきました。その中には、日本の職人・技術者の
自分の仕事に対する誇りを感じることができました。

 なかでも、ビデオの紹介もあった瀬戸大橋をつくった男杉田さんの話は
自分もテレビで見ていたのでもう一度感動に触れることができました。
東大を出てJRに入社。将来を嘱望された人でありながら、地元に戻り
瀬戸大橋を苦難の末に作り上げた杉田さんの姿はすごいのひとこと。
奥さんは34歳でガンで急死。3人の娘さんたちを育てながら最前線で
働き続ける杉田さんはまさに英雄。しかし、その杉田さんが母校丸亀
高校での講演で「瀬戸大橋をつくるよりも、人の人生の方が難しい」という
言葉に人間の人生とは何か。と考えさせられ胸が詰まる思いでした。

 長引く不況、企業モラルの低下、希薄化する人間関係など混迷する社会
の中で自信を失ってしまった現代人にもう一度「やればできる」という気持ち
と勇気を与えてくれる番組だと思います。中高年が昔を懐かしむのではなく
未来に向かって、頑張ろうじゃないかという気にさせる講演でした。

 国井さんの人柄も垣間見られ、和やかな温かい講演会になりました。
エンディングはやはり中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」でした。
これからもいろいろな「無名の英雄」にスポットをあてて私たちに勇気と
やる気を与え続けてください。プロジェクトXにこれからも注目していきたい
と思いました。いい講演会でした。

(03 3/29)
「嘘つき男と泣き虫女」を読んで

 昔から、男と女は永久に理解することはできないと言われています。
ボルガの舟歌にも「男と女の間には深くて暗い河がある」とあります。

 そんな男と女の間の関係を少しでも改善しようとする本が以前出版
されました。「話を聞かない男・地図の読めない女」です。話をしていて
も男は自分の話題に持っていくことだけ考えているので結果的に相手の
話を聞いていない。しかし、立体感覚は炊けている人が多い。そして、
ひとつのことしかできないのです。女は立体的な感覚がやや欠落して
いるため地図が読めなかったり、車の車庫入れが苦手だったり押入の
整理ができなかったり、方向音痴が多いというものでした。しかし、女は
脳の言語をつかさどる部分が発達しており、口で女に勝つことは男には
不可能です。

 この本には、あなたの男度・女度というテストがあり、私は男と女の
ちょうど間に位置し、どちらとも対応することができるという結果でした。
結構当たっている気がしました。

 その本の続編として出版されたのが「嘘つき男と泣き虫女」です。
「話を聞かない男・地図を読めない女」の段階ではどうも女性には好評
だったものの男性にはさらに苦難をしょわせる結果になってしまいました。
女性はその本を読んで男を攻めてきたわけです。

 そこで、互いに理解できないとしても無意味な争いを避けてより快適な
男女関係をつくるために「嘘つき男と泣き虫女」が書かれました。
題名の意味は、男も女も嘘をつくのだが、男は一つのことしかできない
ので女の嘘を見破ることはできない。しかし、女はマルチトラックのように
いろいろなことをいっぺんに聞いて見て相手を一瞬に丸裸にしてしまう。
男のちょっとした仕草の変化を見落とさないため、結果的に男の嘘が
ばれてしまうのです。そして、小泉首相もいっていたように「涙は女の
武器」です。女に泣かれたら勝負はおしまい。男は勝てません。

 女性が、質問してきたとします。「きょう上司にこんなことを言われたの」
とかショッピングで「どの服にしようかしら」と聞かれたときに男がその
解決策をいったり、「この服がいいよ」などといってはダメなのです。
男はどうしても、課題をひとつひとつクリアしていくことが好きです。
課題を与えられるとそれに向かって努力します。だから、女性がそんな
ことを言うとつい助言したくなってしまいます。しかし、女性はただ話を
聞いて欲しいだけなのです。「ふーん、そうなんだ。」などと言わなければ
なりません。ショッピングは、女性の楽しみの一つですね。男はこれが
買いたいと決めてから買い物に行きますから時間がかからないのです。
女性は選んだり迷ったりすることを楽しむわけです。本当に理解できま
せん。そういうものだと納得するしかないのです。

 男の行動が、女性にどう評価されるのかという章も面白いものでした。
男は、ものの大きさに価値を見いだすのに対し、女性は数が大切。
例えば、誕生日に大きな花束を贈ったとすると、男は大きな価値を
認めてくれていると思います。しかし、女性にとっては+1の価値しか
ないのです。ゴミを忘れることでもあろうものなら、花束の+1は消し
飛んでしまいます。小さな花でも何回も渡すことの方がが大切です。
細かいことをこつことしていくまめさが男には必要なのです。

 どんなに夫が家事を手伝って努力しても、絶対に女性は何か文句を
つけてきます。男はそれ耐えています。そして、愚痴を言います。

 男と女が体のどの部分に魅力を感じるかと言う章もありました。
人間は立つようになってから女性の乳房が大きくなりました。お尻
と似たようになったのです。猿のお尻が赤いのはセックスアピール
ですが、立って歩くようになって全面にセックスアピールするところが
必要になり乳房が大きくなったのです。ちなみに半けつ状態の写真と
乳房の写真をくらべてもどちらがどちらかわかりません。

 男は、明らかに見た目重視です。女性は、自分をいかに楽しませて
くれるかが魅力を感じる大きなポイントです。話が面白い。楽しい人が
人気者になるのもそんなことからきているのかもしれません。

 女性から見た魅力を感じる男かどうかというテストがありました。
私は、上から2番目。普通の男ですね。これ以上魅力的になる必要も
なく、これ以下でも困るという結果でした。平和なところでしょう。

  他にもたくさん「なるほど」と思うところがありますが、結局この本を
読んでやはり男と女は決して理解し合いことはできないのだろうと
思いました。しかし、現実を理解し行動を理解することで、無意味な
争いを防ぐことはできる気がします。お互いの努力は必要ですが、
あまり気張らずつきあっていきたいと思っています。

 男と女の間にある暗い深い河に入り込んではいけません。ただ見て
いる方がお互いのためです。見るだけなら案外きれいな河に見えて
くるかもしれませんよ。

(03 4/20) 
「人間尊重の経営」とこれからの人材育成

 先日、三菱地所の人事会社である(株)メックヒューマンリソースの
取締役で人事一筋30年の杉忠重さんの講演会にいきました。厳しい
状況の中で人事を担当されている杉さんのお顔はやさしいいい顔でした。
講演の内容は次のようなものでした。

 日本的経営の根幹をなすものは、「人間尊重の教育」だという。
しかし、その中身は時代とともに変化してきているし変化させなければ
ならない。今までのそれは「温情的」なものであり、企業への従業員の
忠誠心を高め大量生産大量販売を支える企業戦士の拠り所でもあった。
「長く勤めていれば会社は悪いようにはしない」という気持ちを従業員
が持つような仕組みが人事制度としても作られていた。その結果として
多くの企業人はその企業に埋没し、老後の生活も含め人生の重要決定
まで企業に委ねてきた。それは「企業一家」の言葉に象徴される。また
一方、豊かな社会となり、従業員個々人の意識も多様に変化してきて
いる。人生50年が80年になり、会社生活が人生の一部になったことも
あって会社に自己を委ねることに不安が生じている。

 経営者にしてみればコスト競争の時代に、すべての従業員を一律に
抱え込み面倒を見ることは到底できなくなっている。また、従業員を一律
で見る考え方は、社員の多様な個性を満足させ得ないこともはっきり
してきた。そこで「自己選択と自己責任」や「自立した個」への志向が
生じている。集団主義的な「人間尊重」の労務管理はコスト面と個人の
欲求との両面から成り立たなくなったといえる。

 「人間尊重」の経営は、企業と従業員の相互関係から個別に決定され
ていくものになる。従業員個人にとって会社生活は人生の一部であり、
会社にとって従業員は事業目的の達成のための個性を持った財である、
という関係が生じている。会社にとって必要なのはその個人が持つ能力
であってその人の人生すべてではない。そして、必要な能力と必要な
業務との水準によって処遇が個別に決められていく。そしてその業務水準
の決定の場に従業員が参画し、業務水準達成のため能力開発について
も従業員自身が決定する場が設けられていく。MBO(目的管理)をドライ
に言えばそういうことになろう。また、従業員も人生の一部である企業内
だけでなく人生すべての主役として、自らの人生をデザインしていくことが
求められる。ライフデザインは、自分一人でできるとは限らない。むしろ
自分のことを客観的に知ることは難しい。そこで、MBOにおいても人生
設計においてもカウンセリングの考え方が「人間尊重」の実践として必要
になる。MBOにおいては、従業員の自己決定の援助者としての上司の
カウンセリングマインドが必要であり、人生設計においては個々の従業員
の悩みを聞く専門のカウンセラーやアドバイザーが必要になる。

 研修についても従来のように企業が一律に能力開発の内容を決め、
集団的に研修を企画し従業員に与えるということは企業にとっても個人に
とっても望ましくない。

 従来の階層別教育は、年功序列制度下の年次一律の技能教育であった。
今必要なのはむしろライフサイクルに合わせた年代別のひとりひとりの
ライフプランをサポートするものである。具体的には30代は企業生活を
企業・個人相互の利益に結ぶつくように設計し、40代は残された会社
生活を通しプロフェッショナル化をどう具体的に進めるのか、そして同時に
人生の中間点での振り返りと社会展望、50代は会社生活の振り返りと
退職後の設計とそれに向けた助走期間をどうするか、さらに退職直前は
80歳までの生活計画の最後のつめの時と言える。それぞれの世代に
応じた研修の場の設定と、ファシリテーターとしてのカウンセラーの役割は
「人間尊重」の経営をになうものとして重要になる。

 日本的経営の代表として、トヨタ・松下をあげ、人間を尊重した経営とは
何か。熱く語っていただきました。アメリカ的経営は、いらなくなったら
すぐポイと捨てる。それがいいわけではない。この厳しい社会状況で
企業が生き残るには単なる企業一家主義ではどうしようもなくなっている
が、人間を尊重しない企業は生き残れるはずがない。

 いまこそ「その人らしく、、、日本人らしく、、、世界のために、、、
少しでも自己存在の意味を」という言葉で締めくくられました。

 これから社会に出ていく生徒に対してどうアプローチしていかなければ
いけないのか。自分自身がこれからの人生をどう考えていかなければ
いけないのか。今教育界で行われている改革と呼ばれた方策は果たして
この「人間尊重」の経営なのか、考えさせられる講演でした。

 そして、最後にとても難しい時代ですが、結局今を誠実に生きていくしか
ないのではないでしょうか。という言葉も今の時代の厳しさを物語っている
なと感じました。とても有意義な1時間でした。

(03 5/23)
デジカメの座談会に参加して

 先日、私の購入したSONY CYBER SHOT P8の購入者を対象とした
マーケッティングリサーチのための座談会に参加しました。そこで感じた
ことを書いてみます。

 SONYのデジカメCyber Shot P8を購入した人はどんな考えで購入し
どのように使っているかを座談会形式で探っていこうという企画。インター
ネットで募集があり、応募したところ選ばれたというふれこみで出かけて
いきました。

 7人のユーザーと、リサーチの会社の方。ソニーの技術者の方が都内の
あるビルに集まり、2時間ほど話し合いました。まずは自己紹介から。
 都内某国立大学1年生生。私立大学大学院生。主婦。保険会社。
都立高校教諭。メーカーの技術者。広告会社営業の人など。いろいろな
職種の人でした。

 SONYのユーザーは、基本的にSONYが好きです。ハンディーカム、
VAIO、そしてCYBER SHOT の流れです。なぜ、P8を選んだのか
という問いにほとんどの人が、SONYだからと言う答えです。他社の
デジカメと比較したのかという問いにも比較しなかった人が多かった気が
します。

 私もその一人です。ある日、ハンディーカムを購入したら、ふたごが生まれ
VAIOを購入し、デジカメはCyber Shotと決めていました。あとは性能と
値段だけでした。はじめてデジカメを購入したため、今までとの性能の比較
はできません。ユーザーの中で、昔のデジカメから換えた人は非常に満足
そうでした。他社との比較では、CANONやオリンパスやカシオなどの
名前が上がっていました。

 その次はデジカメの使用状況です。みなさんよく使っています。仕事や大学
の研究・アウトドアライフ・友達同士でなどいろいろですが私と全く違っている
のはまず印刷しないことです。撮った写真はすべてパソコンの中。データとし
て保存しています。見るときはパソコンの画面だけです。人にあげたいときは
メールの添付ファイルとして送ります。私の場合は人にあげるときはデータを
写真屋さんに送ってできたものを取りに行きます。こんなことをしている人は
あまりいませんでした。

 先日、同僚の写真のプロに聞いたところ、このデジカメの行く末に非常な
不安を持っていました。初期のデジカメのデータは今となっては印刷すること
もできないのです。統一したシステムもなくみんなバラバラに進化していくと
データは残っても見ることができないと言うことになりかねないと言っていた
のです。 それを聞いた私は、印刷して残すようにしています。写真のように
はいきませんが劣化したとしてもとりあえず印刷することにしました。私の
場合は私の他にパソコンを使えないという現実もあるからですが。

 最後にこれからのデジカメについて考えました。カメラ付き携帯電話の画質
が100万画素を越え、もはやデジカメと変わらない性能を持つようになりま
した。私は、デジタルビデオを使っていましたが、デジカメを使うようになり
HPの作成などでもずいぶん楽だなと感じています。携帯にはカメラはいら
ないと思っていますが、考えてみれば、携帯とデジカメが一緒になれば
もっと楽です。もっと気楽に写真を撮ることができそうです。

 デジカメの存在意義の根本に関わるような気がしてきました。これからの
デジカメはどこに進んでいくのでしょうか。

 全体としてはCyber Shot P8に対する満足度は高いものでした。
SONY信者ということもあるでしょうがそれだけ信頼できるブランドなんだな
と再認識した座談会でした。

 それにしてもデジカメのこれからのあやふやさも感じることができました。
ビデオでいえばVHSのような統一した規格 はできるのでしょうか。いろいろ
と考えさせられる座談会でもありました。皆さんはどう思いますか?

(2003 7/3)
初めての運動会

 高校になると体育祭。北高では体育部門。小学校までは運動会。
今年幼稚園に通い始めた子供たちの初めての運動会が先日
行われました。前日が雨で順延。そして迎えた次の日。母親は
連日のお弁当の用意にクタクタ。しかも保護者がいろいろな役目を
分担していてなかなか大変です。これもはじめての経験でした。

 私は、学校好き、運動会好き、イベント好きなので運動会の前日は
興奮して眠れないというか早く目が覚めてしまう。そんなドキドキの
運動会がいまでも思い出されます。当時は地下足袋が主流。新しい
地下足袋を枕元に置き、体が小さいながらもリレーの選手に選ばれて
いて興奮していました。朝、花火がなるのも楽しみでした。

 恥ずかしい思い出は小学校の時のことです。児童会副会長であった
私は、生徒代表の言葉をいうことになっていました。しかし、この性格
なので何も考えずに予行の日を迎え、朝礼台の上に立って無言のまま
固まってしまいました。担任先生からはしかられ、ブルーになりましたが
本番当日はなんとか無事に終了できました。準備の大切さをしりましたが
予行の日まで何も指導してくれなかった担任にちょっと不満だったかな。

 運動会には、当時フォークダンスがありました。小学生ながら好きな
女の子はいますから、フォークダンスはドキドキものです。中学が超
マンモス校(全校生徒1500人)であったため、中学では体育祭があり
ませんでしたから、高校の後夜祭でのフォークダンスまでそんなイベント
はないので小学校の記憶は貴重なものです。

 さて、自分の子供の運動会。初めて自分のイベントでないのになぜか
緊張するというかドキドキする経験を初めてすることになりました。自分の
徒競走は何位になろうが関係ないし、高校野球で試合をしているときも
、大学受験のときも自分のことでしたからある意味楽しむことができていた
気がします。

 ところが、親の気持ちというのは不思議です。自分のことではないのに
なぜか緊張します。果たしてうまく演技できるのだろうか。かけっこをして
ビリになりはしないかとどうでもいいことなのにハラハラドキドキ。これが
親なのかなと思いました。親とはなんと悲しいのだろうと思いました。

 高校時代、父親に最後の大会見に来ないかと誘ったことがありました。
父は私がプレーしているのを見たら心臓が爆発しそうで結局見ていられ
ない気がするから見に行かないといいました。「何でだよ」と当時は思いま
したが今、この立場に立ってみるとわかる気がします。

 逆に、子供が何かに取り組んでいる様子を楽しみにしている方もいます。
高校野球の監督をしていて、親御さんがよく見学にいらっしゃいます。
夏の大会が終わり、引退するとき親御さんもある意味引退なのですね。
これからプレーをする我が子をみることができなくなる時の親御さんの
寂しそうな姿も印象的です。

 順延のあとの運動会も昼過ぎから降り出した雨のため、午前中で中止。
朝早くから起きていた子供たちは、昼過ぎにはおねむの状態。途中で
中止はとても残念でしたが、早く家に帰ることができたことはよかったかも
しれません。(年長さんの親御さんは最後の運動会が途中で中止になり
とても残念そうでしたが。)しかし、冷たい雨に打たれ娘はその夜、熱を
出しました。

 これから、何回も運動会があるでしょう。いろいろなイベントがあるで
しょう。いつもハラハラドキドキしながら子供の成長を見ていくのだろうな
と実感し、楽しいような気が重くなるような不思議な感覚を覚えた2日間
でした。

(2003 10/16)
グレートジャーニーの講演を聴いて

 調布北高校創立30周年の記念行事は、探検家で医師の関野吉晴さんを
お迎えし、「グレートジャーニーの途上で考えたこと」の講演をお聞きするこ
とができました。その講演で印象に残ったことを書いてみます。

 グレートジャーニーとは何か。およそ600万年前に、人類はアフリカで誕生
しました。百数十万年前にアフリカをでて、世界中に拡散していきました。
その中で最も長い旅をした人たちは南米の最南端まで達しました。その旅路
をイギリスの考古学者が「グレートジャーニー」と名付けました。
 そのグレートジャーニーを1993年から10年をかけて2002年まで自分の
足と手だけで南米最南端から逆にたどって旅したのが関野吉晴さんです。

 関野さんは、一橋大学在学中にアマゾン全流域を踏査。その後、横浜市立
大学医学部をでて、外科医師として勤務したあと、このグレートジャーニーに
旅立ちました。南米、北米、アラスカ、シベリア、モンゴル、中近東を通り、
アフリカまでの壮大な旅。その途中で考えたことをやさしく淡々と語っていた
だきました。

 この旅のきっかけは、南米に旅したりすると日本人に似ている人がいる。
みんな似ている。見かけだけでなく行動も似ている。もとは一緒なのでは?
ということから始まりました。人間は、サルと違い、移動するのです。そして、
何でも食べるのです。言葉を持ち、二本足で立ち、家族を持ちます。文化が
あるのです。サルに家族はないのです。北海道にはサルはいないのです。

 テレビもない、新聞もない、文字もない部落の様子を聞くと、この人たちは
何が楽しいのだろう。遅れているな。と感じる人がいます。しかし、ある川で
しか生活していない人たちにも生活があり、家族があり、祭りがあり、音楽が
あります。逆に「なにが幸せですか?」と問われてすぐに答えられる人は
少ないでしょう。よく考えてみると幸せはお金をたくさん持っているとか、
いい服を着ているとかではなく、健康である、家族が仲良しである、おいしい
ものが食べられるなど、当たり前のことが多いのです。実は当たり前のこと
が一番幸せなのだと考えさせられるそうです。

 アメリカに、将来の火星移住を目指して東京ドームの何倍もある巨大な
人工地球を作って実験している人たちがいます。4000種類の動植物を
その中に放ち、自給自足の生活をするプロジェクトでした。お金持ちが、
私財をなげうって取り組みましたが、途中で酸素不足になりプロジェクトは
破綻しました。いかに地球を作ることが大変なことかを認識することと
なったのです。

 南米大陸の中で印象に残ったのは、切り立ったまわりが600mから
1000mの絶壁の台地から流れ落ちる「エンジェルフォール」です。誰も
たどり着けない台地の上にはそこでしか生息しない生物がたくさんいます。
台地といっても東京23区よりはるかに広いのです。雨が降るとその台地
から、滝が流れ落ちます。しかし、1000mも落ちていくともう滝壺はなく
最後には霧となってしまうのです。それをエンジェルフォールと名付けて
います。その大きさを感じる写真がありました。写真の中で蚊のような
黒い粒が見えるのですがそれがヘリコプターなのです。もうびっくり!

 北米に渡り、アラスカではすごい家族が住んでいました。ガイドをして
いる人の家族です。半径200km以内にその1家族しか住んでいません。
それなのに、4m×5mの質素な家に住んでいる。まさに自給自足です。
娘さん2人は、ウサギを捕ってきて自分でさばいて食べます。野蛮で
残酷のように思えますが、考えてみれば生物は、他の生物を殺して食べ
て生きていかなければなりません。そうやって生かされているのです。
しかし、先進国では肉がどうやってくるのかも実感できないのです。
自分で捕ってきて殺したウサギは、ひとつとして無駄にせず全部食べ、
全部使います。それに対して、東京では食料の40%が残飯になって
いるという現実があります。飽食といってしまうにはあまりにひどすぎる
と思います。また、そのガイドさんが関野さんのもってきた缶詰類をみて
「そんなものは食べない方がいい。何が入っているかわからないぞ」と
いった言葉が印象的でした。

 シベリアで、寒極と呼ばれるツンドラ地帯があります。そこにまっすぐな
道があります。その道は政治犯や外国人の囚人を使って作られたもの
だそうです。その道を作った人の一人に話を聞いたりしています。よく
見つけることができたと思いました。また、その道は普通に作ると昼間に
下の氷がとけてしまうので、橋のように上に木をやぐらのように積んで
いったそうです。網走監獄を見学したときにも同じような話を聞いたと
感じました。

 モンゴル、チベットを抜け砂漠地帯にはいると猛烈な砂嵐。関東村でも
少しは体験できますよ。強風でカヌーも進まないこともあったそうです。
中東では、司会で有名な高濃度の塩湖、乾期には塩だけになります。
そこを車で通ると30分目をつぶって時速100kmで走っても大丈夫
らしいのですが、自転車では微妙な出っ張りが邪魔になります。

 関野さんが、グレートジャーニーを成功できたのはいろいろな幸運が
あります。ソ連が崩壊したこと、湾岸戦争が終わっていたこと、9.11
の影響がまだなかったことなどいろいろあります。最後のアフリカでの
ゴールでは自転車で走っていい許可がおりたそうです。今では、あり
得ないことだそうです。その話を聞くと今井通子さんの話を思い出します。
きたさんのひとことにも書きました。

 そして、日本のパスポートほど便利なパスポートはないというお話も
興味深かったです。宗教的なことなど何の制限もないのでどこへ行って
もとても役立つそうです。ありがたいですね。

 これからも人間は、欲望をもち、移動をし、向上心を持って前へ進んで
いくのでしょう。でもその中で相手はどう思っているのか思うことができる
想像力が大切だという言葉も印象に残りました。

 講演後の質問コーナーで、「言葉をどう覚えるのか」「一番おいしかった
食べ物・二度と食べたくない食べ物」について質問が出ました。
 その答は、言葉は、現地の人と仲良くなることが一番早い。
 一番おいしかったのは、塩をかけたご飯だそうです。塩は体になくては
ならないもの。なくなると体が欲し、それは一番おいしいものになるので
しょう。まずいものは基本的にないそうです。どんな発酵食品も慣れれば
やめられない味になる。関東の納豆やくさやもその地域の人にとって
みればやめられないですよね。

 たまたま、30周年記念行事を考える上で、関野さんの30年が重なり、
講演をお願いすることになりました。司会ということもあり、毎日新聞社刊
の写真集「グレートジャーニー・人類400万年の旅」をみたりして、非常に
期待していた講演でした。期待を上回るドキドキを与えてくれた講演でした。
そのあとのフォルクローレの演奏もこの講演を印象深いものにしてくれた
と思います。何日も酒を酌み交わしながらお話を聞きたいと思いました。

 自分の好きなことを実行していけるパワーがどこからくるものなのか。
とても興味深いです。関野さんの今後の活動にも期待したいと思います。

(2003 11/3)

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