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目次

(1)ごあいさつ         (02年2月 1日)
(2)青梅マラソン        (02年2月 5日) 
今年の私の走る格好の写真が加わりました。(2/20)
(3)夢の話           (02年2月 7日)  甘エビの話です
(4)ノーベル化学賞      (02年2月13日)
 白川先生の写真が加わりました        (2/18)   
(5)骨の折れる話       (02年2月17日) 青梅マラソンのスターターの長嶋さんの
                                          写真が加わりました   (2/20)
(6)甲子園・夢舞台      (02年2月24日)
(7)運(ウン)の話        (02年3月 2日)
(8)春・別れと出会いの季節 (02年3月13日) 多摩動物園の桜の写真が加わりました。(4/1)
(9)世界を旅する男      (02年3月18日)
(10)大学に行くわけ     (02年3月27日)

いよいよホームページを立ち上げました。
これからどんなホームページになるか。楽しみです。
いろいろなご意見をいただいて楽しいページにしたいと思います。
みなさんよろしくお願いします。(2/1)
青梅マラソン

30歳になってからマラソンを始めました。
30歳で30Kを走ってみようとなぜか思ってしまったのです。
青梅マラソンは、全国から1万5000人のランナーが集まる祭典です。
当時は、3万人が応募して抽選で当たった人しか走れませんでした。

生まれから、10K以上走った経験もなく未知の世界でした。
走ったことがある人から、ああした方がいいよ、こうした方がいいよと
いわれても走ったことがない私にはわかりません。
2週間前ほどに、途中の18K地点までは試走しました。

そして、マラソン当日。何かむかしの運動会の日の朝のような気分。
久々の緊張感と興奮。会場の上には取材のヘリコプターが飛び、
テレビカメラもいっぱい。うきうき気分です。
スタートすると足も軽く気持ちよく走れました。折り返しの
15K地点の川井駅では予定のタイムを大幅に上回っていました。

ところが、18K地点の御獄駅を過ぎる頃から、不安がもたげてきました。
これからは走ったことがない距離。大丈夫かな?
そう思った瞬間から世界が変わりました。
それまであっという間に近づいてきた何K地点という距離表示が
いくら走ってもいくら走ってもやってきません。
家族や友達に青梅マラソンに出るぞといったことに後悔しました。
何もいってこなければここでリタイヤしてもいいのになと。

20K地点と、25K地点には坂がありゆくてを阻みます。
ただ苦しいという気持ちと絶対あるかないぞという気持ちだけです。

そして何とか2時間32分でゴール。
初めての青梅マラソンは終わりました。
もう走らないぞと思いました。

ところが、不思議です。
30Kを走り終えた達成感はいままでに経験したがない感覚でした。
そして、来年もまた走りたいという気持ちになるのです。
本当に不思議です。

みなさんも走ってみませんか。

(02 2/5)
夢の話

むかし見た夢の話をします。
初めての担任で3年生になった頃のことです。
就職や進学のための調査書を書いたりするのがとても忙しく
もちろん野球も忙しい状態でした。
20代の若さをしても過労状態です。

そんなとき私の高校時代の同級生で内科医をしている奴が
自宅に泊まりに来て、自分のいった海外旅行の話以外に
末期患者の話や白血病で入院してきた人の話をしてくれました。
絶世の美女が放射線治療のため、脱毛し1本も毛がなくなってしまうと
いうものでした。

それが原因かわかりませんが次の夜に夢を見ました。
鏡を見ながら、髪にブラシをかけているとどんどん髪の毛が
抜けてしまうのです。
「えっ!?うそだろ?」と思いました。もちろん夢のなかで。

しかし、私は髪をとかし続けます。そして、1本も髪の毛が
なくなってしまいました。
「えっ!マジ?」と私は鏡を見ながらいいました。

ところが、なぜか私は髪の毛がないのにまだとかし続けます。
すると今度は頭皮が、とれてしまいました。
「わあー、わあー」と私は絶叫です。

さらになぜか、頭蓋骨だけになった自分を鏡で見ながら私は
なおも、とかし続けます。
するとついにその頭蓋骨までがカパッと音を立ててとれてしまいました。
「ぎゃーあああああ!」と叫ぶ私の目に入ってきたのは
脳みそではなく、3本の甘エビだったのです。 

結構怖い話なのですが、笑えませんか?
これは実話です。「甘エビの話」として語り継がれています。
疲れているときは注意しましょう。

(02 2/7)

ノーベル化学賞

 昨年、一昨年とノーベル化学賞を、日本人の科学者が受賞しました。
一昨年は、電導性ポリマーの開発で白川英樹さんが、昨年は不斉化合物
の合成で野依良治さんが受賞しました。権威ある賞を日本人が2年連続
で受賞したことは本当に誇らしく素晴らしいことだと思います。昨年は、
ノーベル賞100周年で盛り上がりました。

 ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したノーベルが遺言として世界のため
に貢献した人に自分の遺産を贈呈するように指示したことから始まって
います。ノーベル賞ができた当時は受賞したアインシュタインやキューリー
夫人のような有名な科学者が、ノーベル賞に権威を与えたそうです。
今は、ノーベル賞が人に権威を与えるようになりました。その分、本来
これから世界に貢献するであろう科学者に与えることが目的であったは
ずが、絶対に間違いのないようにしていたため実際に受賞するまでに20
年から30年かかってしまうのです。 権威を失わないようにするために、
絶対に間違わないようにするために本来の趣旨とは、違った方向に行っ
てしまっているのは残念です。それだけ大きな賞になっているのですね。

 さて、白川先生が私の大学の同じ学科の先輩であることがわかって
から、個人的には非常に盛り上がりました。大学主催の受賞祝賀会に
もお金を払って参加しました。白川先生の穏和な人柄がわかりました。
一緒にとったツーショトの写真は家宝ものです。触媒を1000倍間違え
て加えたことでポリアセチレンが金属光沢を持っていたことを見逃さな
かったことがすごい。失敗を成功につなげていったのです。電気を通す
プラスチックの開発の第1歩になりました。いまのIT時代につながる
研究です。ほんとうにすごい。

 昨年の、野依先生は白川先生と違い、バイタリティや厳しさを感じる人
ですね。不斉化合物とは、右手と左手の関係の化合物
(対掌体といいます)。または、鏡をみる自分と鏡の中の自分の関係の
化合物(鏡像体といいます)のことです。 不斉化合物は、必ず2つとも
できてしまいます。ところが、たとえば、サリドマイドという薬品。
一方は非常に有効な薬であるのにもう一方は障害をもった子がうまれる
原因になってしまうのです。そんなとき一方だけを作る技術を開発した
わけです。これまた、すごい。

 2人の先生に共通するのは、アンテナはしっかり張りながら、研究を
続けていくことだと思います。人には見えないものが2人には見える。
そして継続は力なりです。

 この二人のノーベル化学賞受賞を受けて、国は何を思ったか、科学系
のノーベル賞受賞者30人を目指すというのです。理科離れ、科学嫌いと
いわれて久しいのですが、新指導要領でも理科の単位数は、減らされて
います。完全週5日制で時間数も減ります。 言うこととやることが全く
違っていて何がノーベル賞30人でしょうか。

 そんな愚痴はさておき、このノーベル化学賞2年連続受賞を機に、科
学に興味を持ってくれる若者がたくさん現れることを期待したいです。
日本は、技術がなければ生きていけない国なのですから。私も理科に
興味を持ってもらえるような授業ができるように努力したいと思います。

(02 2/13)
骨の折れる話

今日17日青梅マラソンでした。長嶋前巨人軍監督が
スターターで今年も盛り上がりました。おかげさまで
久々の2時間33分無事完走しました。

 マラソンも骨が折れますが、
みなさんは骨を折ったことはありますか?
骨を折ると言っても人の世話をすることではありません。
骨折したことはありますか。ということです。
私は、去年生まれて初めて骨折しました。

 昨年の7月、甲子園予選や期末テストで忙しい頃のことです。
ふたごの子供たちの好きな絵本に「はらぺこあおむし」というのが
あります。アオムシがいろいろなものを食べて大きくなりさなぎに
なってついにきれいなチョウチョになる話です。
 そんなとき庭にアオムシがいました。そのアオムシを飼ってみた
ところ、順調に成長し、さなぎを経てふ化しモンシロチョウになりま
した。それが、ちょうど夏の大会1回戦の前日でした。
 校章が、チョウチョなのでなんと縁起のいいことかと思いました。
我が球児たちよ!大空に羽ばたけと!
 その日は、玄関にそのままにして試合当日にはなすことに
しました。

 そして、試合当日がきました。台所からいすを持ってきて
モンシロチョウを追い出すためにそのいすにのり棒で壁を
叩こうとしました。
 すると、いすの先端が玄関からはずれ、いすが崩れ落ちました。
よく交通事故にあったりする瞬間は、スローモーションになると
いいますが、まさしくその通り。ゆっくりゆっくり時間が流れ、
私は落っこちていきました。
 そして、地上に達したとき、そこには三輪車がありました。
その踏み台のところに私の右足の小指がひっかかり落ちる勢いで
三輪車は、玄関の外に飛んでいきました。もちろんモンシロチョウも
空へ羽ばたいていきました。

 これから、球場に向かうそのときのことです。この痛さでは
折れているか、腱ががのびたかどちらかだろうと思いましたが、
監督がいない試合はありません。球場に向かいます。

 1回戦を控えた選手たちはいい顔をしていました。相手は
私立の強豪、実践学園です。相手にとって不足はありません。
痛い足でノックをし、試合は始まりました。
 1回の攻防が勝敗を分けました。キャプテンの好返球で本塁
寸前でアウトにした我がチームに対して、その裏相手外野の
ミスが出て2点先制。その後、一進一退の試合が続き、9回
1点差で2死1塁から相手の盗塁を刺しゲームセット。
2年ぶりの勝利は、感激ものでした。

 試合が終わり、着替えをすると右足は、紫色に腫れ上がって
いました。すぐに、医者に行くと「右足小指骨折」の診断。
ギブスをするかと言われましたが、「3日後に試合もあるので
スパイクを履けないのはいやだ」といって、テーピングで固定
してもらいました。

 試合に勝利したものの、骨折。次の試合は完敗。合宿も
骨折しながら2日間、2時間半のノックをうち続けました。
結局全治6週間、不自由な生活でした。

 骨が折れると、ほかのことをするのにも骨が折れますね。

(02 2/17)
甲子園・夢舞台

 甲子園。

 高校野球に携わるものとして誰もがあこがれる聖地ともいえる場所。
春の選抜と夏の選手権大会の会場。「きのえね」の年にできた球場。

 私が初めて甲子園に行ったのは(出場したのではありません)高校
3年になる春休みでした。「野球大好き!」でも書きましたが、甲子園
を目指すのに甲子園がどんなところか知らないというのはある意味変
なことです。しかし、東京の高校生で、甲子園を訪れることができる人
もそんなに多くはないでしょう。

 幸運にも、私は修学旅行が、京都・奈良であったこと。春休みに修学
旅行があったため、春の選抜の開会式を見に行くことができました。
 ところが、当時は国鉄のストライキがあり開会式が1日順延になりま
した。修学旅行3日目の自由行動に甲子園見学をする予定にした野球
部員でしたが、ストライキにはまいりました。先生を説得して最終日に
1人の引率の先生をつけて甲子園に行きました。甲子園は、本当に
まぶしくすばらしいところでした。テレビで見ると、果てしなく続くように
みえるスタンドは思ったよりすり鉢のようでした。夏の大会では敗退し、
甲子園の夢はたたれましたが、現在までその夢は続いています。

 そのあと4回甲子園に行きました。2回目は、15年ぶりの夏の
甲子園。夜行バスで大阪までいきました。準々決勝は星陵の松井
(巨人)や帝京の三沢(巨人→近鉄)が2年。松商学園の上田や
市川の樋渡(→慶応大)沖縄水産の大野(巨人→)などそうそうたる
選手たち、どきどきしました。私は個人的に星陵の山下監督のファン
(夢にでてきます)なのですが、ノックを見てしびれました。夜行バス
はきつくて帰りは新幹線にしました。
 次の年も夏に見に行きましたが、感激は薄れました。

 次に甲子園に行ったのは、阪神大震災の半年前’94年の夏です。
部員が5人になってしまい、合宿もできないので「甲子園に行こう!」と
もちかけたところ部員ものってきて、みんなで見に行きました。北陽の
嘉瀬(→オリックス)や仙台育英の金村(→日本ハム)などのプレーを見る
ことができ、突然の雷雨にも遭遇し、印象的な甲子園となりました。
半年後に大震災がくるとは思ってもいませんでした。その5人の部員の
一人は、現在母校の監督をしながら、教職をめざして頑張っています。
指導者としてうれしいことです。

 最後に甲子園に行ったのは、5年前の春の選抜です。春の大会の
出場権がなくバス1台を借り切って開会式の日に見に行きました。
運良く当日は、日大明誠と東海大菅生の2校が初日のカード。部員の
知り合いもいて、甲子園が身近に感じることができました。その代は、
夏に昨年全国優勝した日大三高に小倉監督が復帰したばかり。1回戦
のくじをひいてしまい4点をもぎとったものの4本塁打を浴び、悔しい思い
をしました。でもインパクトのある経験ができました。

 今年も選抜の出場校が決定し、プロ野球もキャンプイン。球春という
感じです。甲子園を意識してから、30年がたっています。国立高校や
城東高校が出場し、甲子園が夢という時代から現実的な目標になり
つつあります。しかし、甲子園はいつまでも私のあこがれであり、
夢舞台なのです。

(02 2/24)
運(ウン)の話

 運がいい人。運の悪い人。世の中にはいますね。

 「運も実力のうち」という表現もあります。
実力が付いてくると運がめぐってくることがあります。
 「幸運の女神は後ろが禿げている」ともいいます。
前からやってきたチャンス(女神の髪の毛)をしっかりつかまないと
女神が通り過ぎてしまうと後ろは禿げているのでもうつかめないのです。

 現在ドジャースの野茂英雄投手の話があります。近鉄との契約
交渉が難航し、任意引退の危機がありました。自由契約と違い
任意引退は所属球団の許可がなくては他球団と契約することが
できないという厳しいものです。野茂はもう終わりかと思いました。
 当時メジャーリーグに現実感はありませんでした。

 ところが、当時アメリカの大リーグはストライキなどでシーズンが
始まるかどうかも危ぶまれる状態。なんと野茂は、ドジャースとの
入団交渉をして、近鉄さえ許可すればメジャーリーガーが誕生する
ことになったのです。そして近鉄は、日本球界最高の投手のメジャー
リーグ行きを許可せざるをえなくなりました。運があったのです。
 そのあとの活躍はみなさんご承知です。1年目でオールスター
ゲームの先発投手。新人王など総なめです。その後も野茂投手は
紆余曲折をへて古巣ドジャースに戻ってきました。
 その大活躍もメジャーリーグのストライキ、近鉄の監督が鈴木啓示
だったことなど運が良かったとしかいいようのない状況だったのです。
 でも、野茂投手は「自分は運が良かったのではない。実力です。」
と言い切ります。そのぐらいに思えなければ運を味方にすることは
できないのでしょう。

 さて、違う「ウン」の話。

 他人と面と向かって話せないことに、「ウン○」の話があります。
みんな何かしら、ドラマがあるはずですがまず話すことはありません。
 私も、「ウン○」では苦労しました。 小学校で、学校で「ウン○」を
するのは至難の業です。休み時間に個室に行こうとすれば、みんなが
やってきてとてもできたものではありません。朝、家を出るときしっかり
出していかなければ大変です。中学では授業中に先生に申告して
トイレに行ったこともありました。

 ところが、修学旅行や移動教室にいくと全くでなくなりました。
環境の変化に対応できなかったのでしょう。3日間、4日間出さないで
帰るというのは体にいいわけありません。しかし、おかげさまでこの
習性は高校の合宿でうち破られました。出さなくては死んでしまいます。

 本屋さんや図書館に行くとトイレに行きたくなります。インクのにおいが
そうさせるのか。パブロフの犬のように条件反射なのかわかりませんが
不思議です。私だけかと思っていたら結構同じ人がいて安心しました。

 今でも朝、2,3回トイレに行かないと気が済みません。1回だけでは
通勤途中でもう一度いきたくなってしまいます。各駅のトイレやコンビニ
などさまざまなトイレを貸していただくことがあります。お世話になります。

 「ウン○」の話やトイレの話は実は奥が深いのです。
岩波新書に「現代トイレ考」という本があります。非常に興味深い本です。
ローマ帝国やベルサイユ宮殿のトイレ事情。レディーファーストの本当の
意味。江戸時代「ウン○」は投機の対象だったことなど。トイレの歴史まで
書いてあり面白いです。是非読んでみてください。

「ウン」はつくと困りますが、「運」はどんどんついて欲しいですね。

(02 3/2)
春   別れと出会いの季節

 昨日は、卒業式でした。
3年間の高校生活を終え、羽ばたいていく卒業生たち。
現代は、混沌としていてなかなか夢を持てなくなっているかもしれません。
でも18歳の若者です。これからの未来へ向かって輝いて見えます。
 教員になって20年がたちます。20回こんな別れを経験してきました。
今日の「卒業写真」の歌は心にしみました。ユーミンは偉大です。歌が
流れるとその歌がはやっていた頃の気持ちになるのも不思議ですね。
 
 春は別れの季節。長年仲良くしていた人や同級生・同僚との別れなど
寂しいものです。つらいですね。一緒に過ごしてきた日々が楽しければ
楽しいほどつらいでしょう。

 でも、「別れは出会いの始まり」といいます。同じ人たちの中でまとまる
のではなく新しい出会いによって、また世界が広がります。それまでの
人間関係は忘れずに、新しい世界に飛び出していくことは、とても大切な
ことです。人を成長させると思います。

 日本には四季があり、春は寒い冬を超えて固いつぼみが芽吹いて
きます。昔は私は、春は寒くていまいちでした。秋の枯れていく雰囲気が
好きでした。ところが、年をとった今はいのちの息吹を感じることができる
春が好きになりました。生命のエネルギーを感じていたいのでしょう。

 桜の魅力は何なのだろう?と思うことがあります。花といえば「桜」
です。満開の桜の荘厳さ、ライトアップされると本当に花が浮き上がり
ます。その華やかさと散っていくときの寂しさが、ほかの花にはない
魅力を醸しだしているのだと思います。

 卒業式で感じたのは別れと出会いでした。桜で感じるのは出会いと
別れです。私たちが、生きていく中で必ず経験しなければならない
出会いと別れ。それを桜という樹木が具現化しているのです。
だから、日本人は桜がすきなのでしょう。 

 昨日卒業していった生徒たち。これからどんな出会いと別れを経験
していくのでしょうか。いい出会いをして悲しい別れをして素晴らしい
人生を歩んでいってください。卒業おめでとうございます!

 (02 3/13) 

世界を旅する男

 私の知り合いに世界を旅する男が2人います。

 一人は、土屋愛寿さん。妻の中学時代の恩師です。理科の教員をしな
がら世界を歩き回りました。そして、停年前に世界のすべての国に訪れる
ことができたそうです。ところが、東西冷戦が終わりを告げ、ソ連やユーゴ
スラビアなどはいろいろな国に分離してしまいました。ということはまだ
行っていない増えてしまったのです。大変な事態になりました。
 年齢的にもだんだん厳しくなったのですが、65歳にしてすべての国を
訪れることができました。そんな記事が、地元のタウン誌に紹介されて
いました。 そんな先生は、自分の旅行記を本にまとめ出版しています。
2冊の本です。 「愛寿先生の世界丸歩き」「愛寿先生の・・・」です。
興味ある方は読んでみてください。
 影響を受けて、世界を旅する人がでるかもしれません。

 もう一人は、私の高校時代の同級生です。野球部でした。彼は夢の話に
すでに登場しています。彼は高校卒業後は3年浪人して共通一次(現在の
大学センター試験)元年に信州大学医学部に入学しました。なぜか彼は
野球部に入らず、空手部に入部しました。部活動では、4年生が同級
です。話し方に苦労したそうです。彼は、空手に燃えすぎて留年をし、
さらに6年生で就職まで決まっていたのに国家試験に失敗し、1年浪人し
ました。今は、内科医として救急医療や終末医療のスペシャリストとして
はたらいています。優秀な医師です。
 勤務医には、1年間にまとめてとることができる休暇があります。2,3週
間の休暇を利用して年に1,2回世界を旅しています。そして、日本に帰っ
てくると膨大な写真をきちんと整理し、日程・費用などの整理などまめに
したあと私の家に泊まりでやってきて話をしてくれます。
 アラスカでみたオーロラの話。マヤ文明の遺跡。イースター島のモアイ
像の話。サンタモニカの風。大陸横断鉄道での盗難事件。塩分の多い
死海での水泳。ニュージーランドでのバンジージャンプの経験談。など
おもしろい話はたくさんありますが、今回はインドでのじゅうたん事件を
紹介します。

 彼は、必ず定番の「地球の歩き方」を持参し、航空機だけをとってできる
だけ低料金で旅行するのです。「地球の歩き方」で紹介され「お墨付き」
をもらったじゅうたんのお店に行ったときのことです。彼は珍しくインドで
ガイドを雇いました。しかし、連絡がうまくいかず、ややあやしいガイドに
つれて行かれました。 店にはいり、「見るだけで買わない」と言った瞬間
に店員の態度が一変し、奥の部屋に連れて行かれ拳銃を背中から当てら
れました。「命が惜しかったらじゅうたんを買え!」と脅されました。
(もちろん日本語ではありませんが)空手におぼえのある彼は戦うことも
考えましたが、日本から遙か遠い土地で殺されても寂しすぎるとじゅう
たんを買って帰ってきました。1万円ほどなのです。現地ではそれでも
何年分の収入になるのです。その店はのちに「地球の歩き方」の本から
削除されました。当然ですね。

 このところ、北朝鮮の拉致問題が話題にのぼっていますが、海外への
一人旅は魅力も大きいですが、危険も大きいことを忘れてはいけないこ
とを思い知らされます。日本もこのごろ安全ではなくなってきましたが、
海外はさらに危険な場所もたくさんあるのです。そこまで理解して旅行を
する必要がありますね。

 私は、野球ばかりしているので(本当は飛行機が嫌いなので)海外
へは新婚旅行でオーストラリアに行っただけです。とても楽しい旅でし
たが、彼のような友人から聞く海外の話は、とても魅力的でうらやましく
感じることもたくさんあります。
 これからもいろいろな旅行話を楽しみにしたいと思っています。

 なお、彼はいまだに独身です。いい人がいたら紹介してください。

 (02 3/18)
大学に行くわけ

 掲示板に「なぜ大学に行くのか。」「どの大学でも同じなのか。」という
問いかけがあったので私なりの考えを書いてみます。

 大学に行くわけは、人それぞれ理由が違うでしょう。
 妻の小学校時代の先生は、「大学なんて行かなくていいんだ!」と生徒
たちに言う先生でした。私の前任校でもそんなことを言う先生がいました。
そして、その言葉に影響されて本当に行くことをやめたり高校にも行かな
くなってしまった生徒がいたそうです。人それぞれの人生ですが、「大学
なんて行かなくていい」といっている先生は大学卒なのです。どうしてそん
なことがいえるのでしょうか。教師でいる以上、何らかの形で生徒の人生
に対してプラスの影響を与えたいと考えることは当然ですが、明らかに
行き過ぎだと思います。

 私は、経済的な理由や家庭的な理由でどうしても大学に行けなかった
り、将来目指している職業にとって大学が意味がない。早く働いた方が
いいという場合を除いては、大学に進学する方がいいと思います。

 大学に行く理由がはっきりしている場合は簡単です。医者になりたけ
れば医学部に行かなければなりません。検事や弁護士になりたければ、
法学部に行かなければなりません。技術者になりたければ、理工学部
に進むでしょう。教師の場合は、教育学部以外にも道はありますが、
大学は卒業しなければなりません。

 問題は、これから将来の進路が見えていない人です。まだ、自分の
職業が定まっていない人です。人は、自分の前に大きな障害が立ちはだ
かったときそこから逃げようとします。例えば、定期考査が近づくとやたら
に本が読みたくなったりします。「なぜ大学に行かなければならないか。
行く必要が本当にあるだろうか。」と言う問いが、大学入試という大きな
壁を前にしたときの「逃げ」なのか。自分で見極める必要があります。
逆に「みんなが行くから大学に行く」「大学ぐらいでてないと格好悪い」
「大学に行った方が良い就職先がある」というのもどうかと思いますが、
私はそれでもいいと思っています。どんな理由であっても大学に行った
意味はでてくるはずです。私の弟は大学へ行っても結局は中退しました。
それは、大学に行ってからいろいろな経験をして出した彼の決断だった
のです。高校を卒業したときには考えていないことなのです。私自身で
さえ高校卒業のときには今の職業は全く考えていなかったわけですから。
大学時代は、将来を考える執行猶予期間(モラトリアム)なのです。

 この間、学校で進路ガイダンスが行われました。講師の先生がおっ
しゃっていたことを紹介します。大学と高校の違いは何か。それは、
@友達A先生B勉強が違うというお話でした。
 まず、友達です。小中学校までは同じ市内、高校では同じ学区にすむ
人たちとしかつき合いません。ところが、大学では日本全国から集まって
きた友達とつき合うことができます。北は北海道から、関西、九州、沖縄
まで。これはすごいことです。文化の違い・言葉の違いを感じることが
できます。違う考えを持つ人たちと接することができるのです。
 次に、先生。つまり教授ですね。高校の先生になるためには資格が
必要ですが、大学教授には資格はありません。ある分野に関しての
「スペシャリスト」であればいいのです。そのスペシャリストの先生の
授業を受けたり、ゼミや研究室で指導されることで高度な知識などを
得ることができます。好きな教授がいる大学を目指せれば最高です。
 そして、勉強。高校までは担任の先生がうるさく指導したりします。
それに反発したりいろいろなことがありますが、よく面倒を見てくれます。
しかし、大学は自分で勉強する必要がでてきます。受講する科目を
選ぶのも自分。何をするのも自分で決めなければなりません。しかも
授業時間は、90分一コマ。午前2コマ、午後2コマあります。結構、
大変です。文化系はいろいろでしょうが、理科系であれば4年生になる
と研究室に所属して卒業研究をします。夜遅くまで実験していることも
多く徹夜も結構あります。図書館の利用も多くなります。今までの文献
(もちろん英語)を調べ新しい研究をしなければばりません。

 最後に「どの大学でも同じなのか」ということですが、やはり違うと
思います。優秀な学生が多い方が、高いレベルの研究をすることが
できます。理科系で言えば、分数ができない人や微分積分を理解でき
ない人が多い大学では高いレベルの研究をすることはできません。
 しかし、みんなが東大に入学できるわけではありません。東大でない
大学がだめなのかといえばそうではありません。自分の入学した大学
でどれだけ勉強するのかどんな出会いや経験をするのかがその人の
価値を高めていくのだと思います。
 出身大学が関係ないといえる人たちが増えることが大切です。

 人間の価値は、勉強ができるできないではないのです。ただ、難易度
が高いから医学部を受験して医者になる人もいます。ただエリート意識
だけ高い医者に診察してもらいたくありません。
 このところの外務省の不祥事をみても「キャリア」といわれる将来を
約束された国家公務員上級職合格者が人間的に素晴らしい人でなく
エリート意識だけが高いだけの精神的に成長していない人たちであるこ
とが分かってしまいました。日本国民の為に働く公僕であることを忘れ
自分の利益のみを追求する輩に成り下がっているのを見ることは悲しい
ことです。もちろんそうでない人たちも多いはずですが。
 そういう私も地方公務員という立場です。皆さんの税金で食べさせて
もらっているわけです。それを認識できなくなっている今の日本が悲しい
です。あらためて肝に銘じたいと思います。

 話が、それてしまいましたが、いろいろな条件が揃っていれば大学は
絶対にいった方がいい。大学はどこでもいいと言うことはない。自分の
行きたい大学を目指す。しかし、希望大学に入れなくても悲観することは
なく入学した大学でしっかり勉強し、多くの友達とふれあい、素晴らしい
先生にであうことができれば人間として高まることができる。万が一、
大学に入れなかったとしても同じだと私は考えています。人生のどの
場面も無駄なことはひとつもない。今、悩んでいることがまた自分を高め
てくれるのです。脳天気はだめですが、前向きに行きたいものです!

(02 3/27)

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