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 目次

(11)立花隆さんの話             (02年3月28日)
(12)11年目に授かった子供たち     (02年3月31日) 多摩動物園のコウノトリとひなです。
(13)完全週5日制             (02年4月10日)
(14)ヒトという動物             (02年4月15日)
(15)「奇跡の詩人」をみて         (02年4月30日)
(16)相田みつを展を見て         (02年5月 7日)
(17)星のはなし               (02年5月18日)
(18)「本当の学力をつける本」を読ん  (02年5月26日)
(19)「癒しの時代」の講演を聴いて   (02年6月16日)
(20)「スマイル」で最後の力投     (02年7月16日) 7/14の産経新聞に掲載された記事。

立花隆さんの話

 立花隆さんといえば、超人的な読書量に裏打ちされた膨大な知識を
誇る人です。「田中角栄」・「臨死体験」・「アポロ13号・奇跡の生還」

などありとあらゆる分野についての著書があります。東大の客員教授
をしたこともあり、その講義も本になっています。

 もう数年前になりますが、「僕はこんな本を読んできた」というのが
ありました。自分がどんな本を読んできたかを書いた本です。
 なんといっても購入し読んだ本で家の床が抜けてしまうほどのすご
さでついに倉庫のような「猫ビル」と呼ばれる家を建てました。その見
取り図は友人の「少年H」で有名な妹尾河童さんが書いています。
とにかく、書斎兼書庫の家で寝る・食べることにはまったく頓着してい
ないような家でした。

 立花さんは、自分の興味あることしか研究しません。調べてみたい
書きたいと思ったことだけをとことん調べます。そして、その分野のス
ペシャリストに取材をします。そこがすごい。
 取材をする前に、まず「その分野に関する本を1m読む」というので
す。まず2,3万円持って本屋に行って、入門編・中級編・専門編と買
ってきます。ちょうど積んでみて1mになるぐらい読めば一応のことは
わかるようになるそうです。私だったら、その前に挫折しそうですが。
 スペシャリストの人は、一般的な質問をされた場合、「この人はあま
りわかっていないな
」と思ったら、おざなりの受け答えしかしてくれま
せん。物事の核心に触れるためには、ある程度の知識を持って取材し
なければならないことは当たり前だとは思いますが、なかなかできる
ことではありません。それができるから、立花隆さんなのでしょう。

 もう一つこの本で印象に残ったことは、立花さんは人から本を推薦
してくださいといわれて推薦したことがないということです。なぜかと
いうと立花さん自身が、人から薦められた本で面白かったためしがな
いからだそうです。自分で読みたい本を読む。これが大事だということ
です。

 ただし、自分の読書日記というのがあり、書評にもなっています。
読んだ本の感想をまとめています。参考にはできますね。

 私は、高校までほとんど本を読んだことはありませんでした。それが、
大学までの通学時間が余りに長いため、暇つぶしもかねて電車の中
で本を読むようになりました。本を読むことで違った世界に入ることが
できることは、楽しいですね。自分の知らない経験をすることができま
す。現代は、バーチャルな時代で現実と虚構の区別ができなくなって
しまっている人が増えています。パソコンやゲームの世界です。本は
それとは違う世界。自分の頭の中で世界を作ることができます。
 こんなバーチャルな時代だからこそ読書というのは大切なのではな
いでしょうか。

 あまり読書をしていない私がいうのは変かもしれませんが、立花隆
さんのことを思い出したので、これからもいろいろな本をすすんで読ん
でいきたいと思いました。

(02 3/28)
11年目に授かった子供たち

 いたるところで親バカぶりを発揮しているきたさんですが、親バカになれる
幸せを感じる今日この頃です。

 子供たちがやってくるまでには長い道のりがありました。私たちは結婚
14年になります。子供たちは2歳8ヶ月。11年目にして授かった
のです。

 結婚して、2年間子供ができないと不妊症といわれます。一時DINKS
(ダブルインカムノーキッズ・・・つまり夫婦どちらも職業を持ち子供を作らないこと)
がはやったことがありました。しかし、今はアメリカでも家族に対する回帰
が起こっています。日本では、20年前には10%以下だったいわゆる
「できちゃった婚」が25%を超えてきました。その一方で、出生率は平均
1.37人まで減少しています。結婚している人のもつ子供の数の平均は
2人を越えているので結婚していない人が増えていることになります。
これも大変な問題です。日本人の生殖能力が減少しているともいえます。

 話はそれましたが、不妊症は平均すると100組に20組です。卵管が
つまっていたり、子宮内膜症など母親に原因がある場合と精子の量や運
動量の不足という父親側の原因の場合があります。しかし、不妊症の7%
は原因不明です。つまり100組に1組は原因不明なのです。不妊症は変な
病気です。とにかく一人でも子供ができれば治ったことになります。
 私たちもこの原因不明のカップルだったのです。夫婦とも健康で特に問題
がないのに子供ができないのです。日本中の子宝の湯といわれる温泉にも
出かけていきました。

 不妊症の治療は、母体や父親の検査、排卵誘発剤、人工受精、
腹腔鏡検査、そして最終的には昔は試験管ベビーといわれた体外受精と
いう方法もあります。いまや倫理的な問題もある配偶者以外の精子や
卵子による体外受精まで行われています。また、代理母という方法もあり
ます。不妊治療の進歩はめざましいものがあります。
 そして、副産物的にどんな組織にもなるという究極の細胞・ES細胞の
生産にまで話が進んでしまいました。もはやバイオ産業です。

 不妊症の母親の心理的プレッシャーは計り知れないものがあります。
ちょっとした言葉に傷つき、あきらめてしまうことも多いのです。

 子供が欲しいと思っても授からない夫婦は、本当に多いのです。一方では
子供の虐待の問題が大きく取りざたされたり、避妊などをまるで考えない
10代の妊娠・堕胎の問題もあります。苦労して子供たちを授かった私たち
からすると信じられません。いのちは本当にもかけがえのないものです。

 子供のいなかった11年間が、寂しかったかというとそんなことはありま
せん。いろいろなことができました。旅行もたくさんしました。

 私たちは、11年目にして子宝に恵まれました。しかも男女のふたごです。
「子供が授かった」ことがわかった日そして二人が、誕生したときの感動は
忘れられません。本当に涙があふれてきました。

 この2年間の子育ては、本当に大変でした。特に母親は大変です。
よく「いっぺんですんでいいね」「うらやましい」といわれますが本当に大変
です。私の住んでいる地域では市の保健センター主催の「ふたごひろば」
があり、2,3ヶ月に1回ふたごちゃんたちとその母親が集まって情報交換
したり、愚痴を言い合ったりして、ガス抜きをしています。これからもいろい
ろなことがあると思いますが、元気に楽しく子供たちとつきあっていきたい
と思います。

 ふたごはめずらしいものではありません。北高にもたくさんいます。男女の
ふたごもいます。親戚にも数組ふたごがいますし、私が仲人をした教え子に
もふたごが生まれました。ふたごに縁があるなと思います。
 ふたごの先輩からもいろいろなアドバイスお願いします。

(02 3/31)
完全週5日制

 4月から公立学校は、完全週5日制になりました。
 一般的には、週休2日制といった方がよいかもしれません。昨年までは、
第2・第4土曜日が休みでしたが、今年からすべての土曜日がお休みに
なります。

 ところが、私立学校は土曜日休みでないところが多いようです。先日、
文部科学省が私立学校も週5日制にするように指導しようとしましたが、
過剰な指導という判断が下されました。都立高校の地盤沈下が叫ばれて
久しいですが、この平成の大不況のご時世都立志望も増えています。
保護者や生徒のニーズにあった都立高校のあり方が切望されています。

 この週5日制に伴う学力の低下が心配されています。なんと週5日制を
推進し、指導内容の精選(つまりは内容を削減)した文部科学省の大臣が、
土曜に補習などをして教育内容の削減分を補うように要望しました。
この観点や保護者のニーズから都立高校の上位校では、土曜に補習など
をすることを「売り」にする学校もでてきました。しかし、休みに学校へ出勤
した分の代休のことなど難しい問題もあります。私の学校でも土曜日の
対応がいろいろと検討されています。
 しかし普通の学校では時間数は減らされていながら、内容は現状を維持
するようにいわれても困ります。どう対応したらよいのでしょうか。1年目の
今年度が終われば方策がでてくるかもしれません。あまり期待してはいま
せんが。

 本来の完全週5日制の目的は、ゆとりを増やすこと。そのゆとりの時間を
学習以外のいろいろな活動に取り組み、人間的に成長させたり自分で考え
て行動することで生きる力を身につけること。などがあげられます。
 「生徒を学校から家庭や地域にかえす」ことが一番の目的です。ところが、
週5日制というハードだけが先走って、ソフトである受け皿つまり生徒の
活動場所が整備されていません。
 行き場がない暇な生徒がぶらぶらしているか、受験モードで塾や予備校
に行く子が増えるだけとも言われています。

 また、クラブ活動では運動部であれば勝利を目指します。たとえば野球部
の場合月から金曜日に2時間以上の時間がかかる試合はできません。
土・日はすべて練習試合になることが必至です。その学校で日曜は活動し
てはいけないと決めたとしても他の学校が活動していればやりたくなります。
 もし、学校から地域・家庭に生徒をかえすのであれば法律で決めてもらう
しかないと思います。

 見切り発車のような完全週5日制です。生徒・保護者・学校ともに混乱し
ています。有意義な土曜の活動とは何か。実際にやってみて考えていか
なければなりません。みなさんはどのように考えますか。意見を聞かせて
ください。

(02 4/10)
ヒトという動物

 私はミーハーなところがあり講演会などに出かけることが好きなのですが
数年前、泌尿器科の医師で登山家の今井通子さんの講演会で聞いた話を
します。

 人間は、自分だけは自然と遊離しているような錯覚をしているところがあり
ますね。「トキが絶滅しそうだ。」とか「環境破壊をくい止めなくては」などと
いっているとき自分も動物で自然の中で生かされていることを忘れている気
がします。そして、実際に動物の「ヒト」として本来持っている能力を失ってい
るという話でした。

 今井さんが、ネパールへ行ったときのことです。エベレスト登山のため訪れ
た小さな村であるとき、村の住人が「あっ!ヘリコプターが来た。」と叫びま
した。今井さんには、何も聞こえません。
 ところが、数分後山の彼方にヘリコプターが現れました。文明社会で生き
ている今井さんには聞こえないかすかな音をネパールに暮らす人たちは聞
くことができるのです。ヒトという動物がもつ能力をちゃんとと使っているの
です。

 今度は、アフリカへ行ったときのことです。今井さんはキリマンジャロの山
頂からハングライダーで飛び降りたこともあることでも有名です。
 現地の人が言いました。「草原の向こうからシカ(?)の大群が、やって
くるが先頭の1頭が足にけがをしている。」と教えてくれました。やはり、
今井さんには何も見えません。何も聞こえません。その数分後現れた群の
先頭のシカ(?)は足にけがをしていました。すごい視力です。
 テレビによくでるサンコンさんがいますが、視力が3.0などといっていま
すね。現地の人は5.0ぐらいありそうです。

 最後にこれもアフリカでの話です。赤道付近をガイドさんと車で移動して
いると動物の群とともに、現地の人が何の気なしに歩いていました。
 そこで「私も降りてみよう。」と思った今井さんが、車から降りようとすると
止められました。不思議に思った今井さんが尋ねるとガイドさんが言いま
した。 「現地人は、人という動物の本能や能力をしっかり持っているので
危険が迫った時に対応することができるが、あなたのような人間にはその
能力はない。だから、車から降りることはできない。」


 先進国にすみ、何でもできるような錯覚にとらわれている人間は、実は
動物のヒトが持っていたいろいろな能力を失っているのです。いろいろな
文明を手に入れるのと引き替えに失っていることがあるのです。

 渡り鳥には、鼻の部分に磁石があり必ずふるさとに舞いもどることが
できると言います。実際の実験でも実証されています。すごいですね。
何万kmの旅が代がかわっても受け継がれています。テレビでは、チョウ
にもそんな力があることを放送していました。
 
 いろいろな能力を失った人間ですが、この磁石があることを実感するこ
とがあります。べろんべろんに酔っぱらっても家にたどり着くことができま
す。記憶が
なくなってもなぜか家につけるのです。帰巣本能というかコン
パスが人間に備わっている証拠だと思います。

 みなさんにもヒトという動物の能力を体験したことはありませんか?

(02 4/15)
「奇跡の詩人」をみて

 先日NHKスペシャルで「奇跡の詩人〜11歳 脳障害児のメッセージ〜」
という番組がありました。みなさんは見ましたか?

 誕生時に、内蔵が外に飛び出していて手術の結果、一命を取り留めたも
のの脳に障害が残り歩くことも話すこともできない日木流奈(ひきるな)君。

 しかし、両親は必ず歩くようになるはずだ。話せるようになるはずだ。と信
じてドーマン法というリハビリテーションを行いました。100人ものボランテ
ィアもお願いし、毎日毎日リハビリが続きます。その中で運動訓練とともに
知性面でのトレーニングも行います。いろいろな美術作品、哲学書から科学
の専門書にいたるまで2000冊にも及ぶ読書もさせました。すると文字が
書いてある小さなボードを指で指し示すことで会話が成り立つようになりま
した。母親が、流奈君が指し示した言葉をいい、父親がワープロで書き留め
る作業をするうちに、流奈君の言葉に詩的なものを感じた両親は、詩を書い
たらどうか尋ねたところ、その気になりました。出版社も興味を示し出版する
ことになりました。しかし、指で指し示すだけでも流奈君にとっては壮絶な
苦痛をともなうそうです。
 「みなさんが何の苦痛もなく書いていますが、私は、いのちを削って書いて
いるのです。それでも私は書きたいのです。」と詩の中で言っています。

 「世の中は、あなたが幸せじゃないと幸せになれないのです。」などと
うんちくに富む言葉で表現していきます。両親やボランティアの人たちに
愛情を持って接してもらえている幸せを感じているからそんな言葉がでて
くるのでしょう。

 いまや、流奈君の詩の信奉者も増えて後援会などにも引っ張りだこです。
流奈君には、小さな妹もいます。両親が出版のために流奈君に着きっきり
のために言葉もしゃべれない年なのにお兄ちゃんに嫉妬します。何かかわ
いそうになりました。両親はふたりに同じように愛情を注いでいます。でも
なぜか悲しくなりました。

 むかしNHKスペシャルで「脳と心」というシリーズがありました。脳の障害
があっても残った能力が最大限生かされた人たちの特集もありました。
脳が半分しかないため視野の半分がないのに触覚によってものも把握して
素晴らしい絵画を描く人。ほとんど脳がないのに一度聞いた曲を間違いなく
ピアノで表現できる人などです。

 その人たちにはまわりにその人の可能性を信じていろいろな刺激を続け
ることで人間の能力が開発されるのだと思いました。すべてがうまくいった
りはしなくても可能性を信じてやり続けることが大切だと感じました。

 前任校でも脳性マヒの生徒が何人か在学していました。最初は、この子
たちはどの程度理解しているのだろうと思いましたが、つきあっていくうちに
普通の考えをしていることがわかってきました。私の冗談に笑ってくれるの
はその子たちでしたし、中には作家志望の子がいてワープロで小説を書い
ていました。化学のレポートもしっかりワープロで書いてくれました。障害が
ある以外は全く普通の人と変わらないのです。
 五体不満足の乙武さんも障害は個性です。といいましたが、そう思える
ように育ててくれたご両親や仲間たちが彼のまわりにいたのです。

 日木流奈君、これからも素晴らしい詩を世の中に発信し続けて下さい。

(02 4/30) 
相田みつを展を見て

 今日まで立川高島屋で「相田みつを展」が開催されていました。
 みなさんはいきましたか。あまりにも有名な人ですが機会があったので
いってみました。

 相田みつを(1924-1996)は、書家として詩人として活動しました。
「自分の言葉・自分の書」をテーマに数多くの作品を生みだしていきます。
特に1984年に出版された「にんげんだもの」や「一生感動一生青春」
は大ベストセラーになり、現在も子供から大人まで幅広い層の人々に
支持され続けています。今回の展覧会は、没後10年を記念行われた
そうです。

 北高でも、書道の先生が、自由な書を生徒にさせていますし、公開講
座でも一般の方に教えています。相田みつをはその原点のような気が
します。

 書かれていることは、在家の仏教徒だった人なので人生どう生きるのか
というテーマがあります。でも説教くさくなく素直に、心に入ってくる感じが
します。ことばが、音だけでなく、視覚的に入ってくるのです。

 「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

 自分が幸せか幸せでないかは、自分の心の問題。どんなにお金があって
も幸せでない人もいれば、どんなに貧乏でも幸せに暮らしている日とも
いるでしょう。心の問題ですね。

 「かねだけが人生じゃないが、あると便利。無いと不便です。
 便利な方がいいなあ。」

 これも事実ですね。お金はあった方がいいな。

 「うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい」

 そうですね。美しいもの・すばらしいものに素直に感動できるこころは
持っていたいですね。

 「つまづいたっていいじゃないか。にんげんだもの」

 人生うまくいくことはなかなかありません。にんげんなんだから。
 そんなものだとわきまえていれば気張らずに生きられそうです。

 「花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根は見えないんだなあ」
 
 花は、一人で咲いているのではなくいろいろなものに支えられている。
人間だっていろいろな人に支えられている。目立たないかもしれないが、
そんな人たちのことをわかる人でありたいですね。そして、目立たなくても
しっかりした根をはやしたいですね。

 銀座に、相田みつを美術館があります。機会があったら行ってみては
どうですか。

(02 5/7)  
星のはなし

 昨日の朝日新聞に、星の話題が載っていました。私は、特に星が好きだと
いうことはありませんが、一昨年修学旅行の実地踏査で北海道の然別湖に
いったとき、全く光がない湖畔で見た満天の星には、本当に感動しました。
都会では絶対に見られない天の川もあり、空の星の光が湖面に映っている
のを見て何ともいえない不思議な気持ちになりました。この感動を生徒たち
に味わせてあげたい
と思いました。しかし、修学旅行当日は曇りで本当に
残念でした。

 昨年は、獅子座流星群で盛り上がりました。前回の獅子座流星群は、今
ひとつでしたが、昨年のはすごかったですね。朝5時からでも何十個も見え
ました。1986年のハレー彗星の接近のときも盛り上がりましたが、ぱっと
しませんでした。76年周期なので次は見ることはできません。

 今年は、太陽系の惑星が、5つ夕方の西の空に接近して見える年だそう
です。ちょうど今頃まで見えるそうですが、このところ天気がはっきりせず、
あまり見えないのが残念です。今度このチャンスがあるのが50年後らしい
のです。なんとかこの機会に見てみたいです。

 さて、新聞に載っていたのは、小惑星に名前を付けたという話題2本です。
全国版では、大阪の子供たちが小惑星に「たこやき(TAKOYAKI)」

命名したというのがありました。地球から4億キロ離れた星で、明るさは
18等級。文部科学省が、昨年大阪府吹田市で開いた「宇宙ふれあい塾
2001」で事前公募してあった候補の中から、子供と保護者に選んでもら
ったものだそうです。「たこやき」が
選ばれ、国際天文学連合(IAU)の
承認を待っていたそうです。
 
 もう一つは、多摩版の載っていたもので「宇宙にも『はちおうじ』」という
記事です。八王子出身の天文観測家が、命名したものが認められたの
です。2人の観測者が1988年頃から、40個以上の小惑星を発見し、
交互に命名してきました。この「はちおうじ」は直径10キロで4年数ヶ月を
かけて太陽を1周するそうです。発見者の串田さんは「生まれ育った八王
子の豊かな自然環境の中で、自然を見つめる目が養われた感謝を込めた。
八王子の子供たちに将来、宇宙に浮かぶ『はちおうじ』を訪れて欲しい。」
と話しているというものでした。

 小惑星は、発見者に優先的な命名提案権があるそうです。日本の天文
家も多くの小惑星を発見しており、「多摩」「武蔵野」「三鷹」などもあるそう
です。大阪の「たこやき」も発見者の協力があって実現したのです。

 星の命名といえば、百武彗星の百武さんがいましたが、先日動脈瘤
破裂で51才の若さで急死されました。アマチュア天文家が、地方の天文
台の館長になってしまったぐらいすごい発見だったのでしょう。ご冥福をお
祈りします。

 星を見ていると、時間を忘れて不思議な気分になることがあります。国立
天文台のある三鷹・調布地区も明るすぎてあまり星を見ることができなくな
っています。田舎に行かなくてもいろいろな星を眺められる環境になったら
いいのになあと思います。そして、「巨人の星」じゃないですが、自分の星
を見つけられたら最高ですね。

(02 5/18)
「本当の学力をつける本」を読んで

 最近ベストセラーとして、本屋さんに積んである本の中に「本当の学力を
つける本・・学校でできること 家庭でできること」(文芸春秋社刊)というの
があります。村上龍さんのJMMのサイトからリンクした図書の案内にも紹
介されています。兵庫県朝来(あさご)町立山口小学校教諭の陰山英男
(かげやまひでお)さんが書いた本です。山あいの小学校の実践が、全国
に紹介され大きな反響を巻き起こしました。

 完全週5日制と新学習指導要領で、学力低下が心配されています。
「新学力観」にもとづき、基本的な反復練習はだめ、個性を重視したゆとり
の教育が行われた結果、大学生になっても分数ができないという信じられ
ない状況がでてきています。

 著者は同僚とともに音読、百ます計算などの「読み書き計算」の反復練
習による学力向上に取り組みました。「ゆとりの教育」の流れに抗する形で
続いた10年以上の山口小学校の独自のプログラムにより、結果として
進学塾もない山あいの小学校の卒業生から有名大学合格者が続出し、
教育界では「山口小学校の奇跡」と言われているそうです。

 小学校の時期に、しっかり基礎をたたき込むことが、生徒の自信にもつな
がり授業に集中できるまたは何事にも対応できる能力をつけることができ
るのです。目標をしっかり与え、他人との競争ではなく自分自身の学力向
上を目指していきます。とにかく反復練習です。

 この実践の記録を見たとき、一人の先生がやってもだめだし、学校だけが
やってもうまくいかないでしょう。学校・家庭・社会がうまく連動しなければ
この実績もあげられなかったでしょう。ある意味いろいろな情報の少ない
山あいの小学校という条件が逆にこの実践を可能にしたともいえます。
しかし、すごい実践です。とにかく徹底して「読み書き計算」です。

 この本の中に、教師の授業に対する考えがでてきます。良い授業とは
何か。自分の授業で生徒が納得している顔をみたり、頷いたりすると良い
授業をしているように思ってしまう。自己満足の世界。ずしりときました。
結果として、生徒の実力をアップさせて上げるにはどうしたらいいか。
ということを考えなくてはいけないのです。高校まで来るとそれ以外の話
も必要な気はしますが、やはり基礎の徹底が応用へもつながるのだと
納得しました。

 「読み書き計算」ではないですが私の前任校で化学の実験ノートという
のがありました。年間20回の実験のレポートを生徒に書かせるのです。
提出しなければ、「1」という強制的な形で提出させました。全員にすべ
てのレポートを出させるのは、教師側もきついです。しかも毎週毎週実験
があり、ある意味レポートに追われる日々です。5クラスを担当していた
ときは毎日レポート添削で12時という状況でした。しかし、そのために
全然レポートが提出できなかった生徒が提出するようになり良いレポート
をかけるようになりました。特にレベルが高いという学校ではないので
漢字の間違いなども見ます。どんどん良いレポートが書けるようになり
その子は、郵便職員となって頑張っています。実験ノートのおかげ(?)
で薬学部や管理栄養士学科など難関校にも合格する子もいました。
徹底してやらせることの大切さを実感しました。

 あとは、音読と言うことです。「声に出して読みたい日本語」という本も
ベストセラーになりましたが、テレビゲームで素早くコントローラーを動か
している時の脳の働きより、本を音読しているときの方が、脳が活発に
動いていることがわかっているそうです。見て、声を出して、それをまた
聞いているのです。当たり前なのでしょうが、不思議です。

 この本に書かれていることを、すべて紹介することは不可能ですが、
今、私たち教師や親そして社会がこれから新学習指導要領のもと
どうしていかなければいけないのか考えさせられる本でした。
 みなさんもぜひ読んでみてください。

 またご意見・ご感想をお願いします。

 陰山さんのホームページのURLは次の通りです。
 リンク集に加えました。
    http://www2.nkansai.ne.jp/sch/hpkage/

(02 5/26)
「癒しの時代」の講演を聴いて

 先日、日本で初めて「癒し」という言葉を使った東京工業大学大学院助
教授上田紀行さんの講演を聴くことができました。

 上田さんは、東京大学出身。いとこが落語家の春風亭小朝。夫人が、
3月までNHKの朝の顔だった武内陶子アナウンサーという方です。自分
自身も高校から大学時代に不登校や家庭内暴力などを
経験し、カウンセ
ラーのお世話にもなったと言う経歴の持ち主です。大学時代に使った「癒し」
という言葉を初めて使い、1988年に読売新聞が取り上げたことから「癒し」
の元祖と言われています。

 現在の日本は、4年連続年間自殺者3万人です。交通戦争と言われる
時代も1万人ですからすごい数です。自殺者のほとんどが40から50代の
働き盛り。なぜなのか。これからの日本は、どこへ進んでいけばと言うお話。
わかりやすい言葉と上手な話し方で1時間30分があっというまでした。

 昔の日本は貧乏でしたが、パワ−がありました。貧乏なだけでは死にま
せん。元気に暮らしていました。不登校だった上田さんが変わったのは、
インドを旅行してから。子たちが「金をくれ!金をくれ!」と群がります。
パワーがある。「存在感」がある。この「存在感」が「癒し」の根源なのです。

 昭和30年代、40年代は高度成長時代。何も考えなくても「いい大学に
行き、いい就職をすれば幸せが自然にやってくる」と思えていた時代。
今は、
ものがあふれ豊かになっても精神的に充足されない。何を目標に
していけばいいのか分からない時代になっています。リストラされても生き
ていけるはずなのに、もう終わりだと思ってしまう。第一志望の学校に入学
できなかったら人生が終わりだと思ってしまう。それをどうすればいいのか?

 上田さんが、「癒し」を考えるようになったのは、スリランカでの経験から。
スリランカは識字率も90%を越える教育国。そのスリランカにはいまだに
悪魔払いが存在するのです。西洋医学で治らない病気の人が悪魔払いを
してもらうのですが、一晩中悪魔払い士は踊り歌いまくるのです。そして、
悪魔と漫才のような会話をするのです。その様子を村中の人が見ています。
そしてみんなで朝まで大騒ぎをするのです。そうすると悪魔が退散し、
病気が治るのです。悪魔払い士によれば、悪魔は孤独な人に、まなざしを
むけます。心がわくわくすれば病気が治るのです。「癒し」の本質のひとつ
は「つながり」です。私はみんなとつながっている。私が「存在している」
実感。これが「癒し」なのです。

 「治療」と「癒し」の違いについての話もありました。西洋医学はいつしか
痛んだ部分を直すことしか考えなくなってしまいました。古代の医者は、
医者であり、哲学者であり、科学者であり、カウンセラーであったのです。
ある時十二指腸潰瘍で入院してきた人がいました。ストレスが原因だった
のに十二指腸潰瘍の薬を投与したために、肝臓に負担がかかり、肝ガン
になって亡くなってしまったというのです。ストレスを取り除くことが大切
だったのです。検査の結果だけを信じて人を見なくなっているのです。
ある若い医師が、患者の前で検査結果を見て「この人は死んでいなけれ
いけない」と頭を抱えてしまい、患者から「先生そんなに落ち込まない
で」慰められたという笑えない逸話もあります。

 「治療」は修理だけ。「癒し」は生きる意味を含みます。「治療」の失敗は
死ですが、「癒し」のあとの死もあるのです。

 これから日本がどんな方向に向かっていかなければならないか、という
話にうつっていきます。人間には、先ほど話した「つながり」が大切。つな
がりは無条件の愛だそうです。似たような言葉に「しがらみ」があります。
これは条件付きの愛だそうです。現代は、「しがらみ」が多くなっています。
ただ、生きていれば子供は愛されていたのに、いつしかテストで100点
とったら愛されるが、20点なら愛されないように親が変化してしまったため
子供たちは、親に愛されるために勉強する。それが失敗したら自分の生き
ていく場所がないと感じてしまう。親自身も良い大学を出て良い会社に
就職できたら幸せと思っていたらリストラされてしまう。どうしていいのか
分からなくなっている。

 これからは「生きる意味」をどう考えるかがポイントになってきます。
そして、「夢」を持つこと。今、若者が「夢」をもてなくなっています。これは
大人が「夢」を語れなくなっているからなのです。「夢」をもつことは若者の
特権でもなくいくつになっても持ち続けられるはずなのです。そんな「夢」を
持てたら幸せでしょうね。大人が「夢」を語らずして若者に「夢」を持てとは
言えません。

 神戸の殺人事件の酒鬼薔薇くんは自分を「透明な存在」といいました。
「誰にも見えない」という意味に誤解されましたが、実は「透明な存在」
とは、交換可能ということなのです。私がいなくなっても代わりはいくらで
もいるという感覚なのです。実際には、人間ひとりひとりが「かけがえの
ない」存在なのです。自分自身が「かけがえのない」存在であることを
実感できることが大切なのです。これが、「存在感」の意味です。

 「つながり」と「存在感」を感じながら「夢」を持って生きていく。自分の
生きる意味を考えていくことが必要なのです。

 最後に、上田さんが、車いすの詩人の詩を引用されました。

 「さあ、涙を拭いて
  あなたの好きな花を咲かせなさい
  探しても探してもあなたの好きな花が見つからなかったら
  あなたが花になりなさい」 

 本当にあっという間の1時間半の講演。魅力的なお話に感動しました。
「つながり」「存在感」「夢」この3つのポイントを自分自身がどう感じ、
これから日本の未来を切り開く若者にどう伝えていったらいいのか考えさ
せられた講演でした。

 上田紀行さんの著書も紹介しておきます。

 「覚醒のネットワーク」     カタツムリ社
 「日本型システムの終焉」   法蔵館
 「宗教クライシス」        岩波書店

(02 6/17)
「スマイル」で最後の力投

 7月14日の産経新聞に北高エースの久村くんの記事がでたので
 紹介します。

「6回の守りに入る直前、北澤良浩
監督から交代を告げられ、調布北
のエース・久村の夏は終わった。
 中学時代は捕手。「自分の力でチームを甲子園に」と投手に転向、
昨秋からエースを任された。ピンチの時は、帽子のつばを見る。
名前の上に「スマイル」と「感謝」の二つの言葉が並ぶ。
 「スマイル」は、守備の乱れで劣勢に立ったとき、荒れそうになる自分
に向けて書いた。
 練習中にも誰より声を出し、チームにハッパをかける。秋川幸雄主将
(3年)は「そんなアイツだから、みんな試合を任せるんです。」
 強豪・創価高は、球が甘く入れば狙い打ってくる。0−4で迎えた5回
裏、自分のミスにバックの中継ミスなども加わり9点目を献上。それでも
「スマイル」でバックをもり立て、コールドのピンチを乗り越えた。
 試合後、「スタンドからの声援に力をもらった」と穏やかに語る。
 スタンドを去るエースは、帽子のつばに書かれたもう一つの言葉
「感謝」を込めるように応援席に深々と一礼した。(佐久間修志)」

 (02 7月16日)

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