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目次

(11)私と野球(7) 館高校時代その3    (02年5月10日)
(12)私と野球(8) 調布北高へきて     (02年8月13日)
(13)松井5敬遠から10年明徳義塾優勝  (02年8月22日)
(14)神宮の土                  (02年9月20日)
(15)野球をプレーし続ける男たち       (02年10月22日)
(16)桑田真澄投手復活の陰に古武術あり  (02年11月5日)

(17)都立高校からプロ野球          (02年12月4日)
(18)松井秀喜ヤンキースと正式契約!   (03年1月17日)
(19)私と野球(9) 調布北高校その2    (03年8月16日)
(20)松井秀喜選手の1年           (03年11月14日)

私と野球(7) 館高校時代その3

 13期生が、四商との死闘に勝利し東亜学園に善戦したあと残った部員は
5名だった。2年4名、1年1名。これでは合宿もできない。秋の大会も出場
できない。そこで部員たちに「甲子園へ行ってみないか?」と声をかけたとこ
「ぜひ行きたい」ということだったので合宿のかわりに甲子園見学をするこ
とにした。顧問3名は、もちろん自腹。部員は2年生4名。マネージャーは1,
2年1名ずつ。往復新幹線で、神戸に宿をとった。1泊2日の旅だ。

 甲子園に着いたのは、昼過ぎ。生徒たちはあこがれの甲子園を初めて見て
興奮していた。仙台育英対北陽戦は、現日本ハムの金村投手や現オリックス
の嘉瀬投手が対戦していた。その後、猛烈な雷雨もあり思い出の甲子園と
なった。その半年後に阪神大震災が起こったことを思うと不思議な気がする。

 甲子園から帰って、部員はなんとか10名になり秋季大会には出場したが、
東京実業に0−16のコールド負け。夏も小金井工業に0−10のコールド負
け。実力だった。しかし、その代の生徒が、教職を目指しながら現在母校の
監督をしてくれていることは、指導者として本当に嬉しいことだ。
 部員激減の時から、自分の考え方が変わった。形だけしっかりさせるとか
形だけ厳しくというのではだめだ。ということだ。「野球は楽しい」「野球が好き
だ!」という原点を忘れていた気がした。一番大切なことなのだ。


 15期生の代も4名しかいない。しかし、16期生が14名入った。推薦入試
が初めて導入された年に入学した子たちでなかなか雰囲気があった。野球
部全体のの雰囲気は13期生以前と変わった。タッチやH2の世代だ。
ところが、秋季大会に2勝し、春季大会にも出場。しかし、夏の大会は明学
東村山にコールド負け。力を出せなかった。

 16期生は、くせ者が多かった。秋の大会は、同じ学区の南平。八王子
日野大会でも対戦していた。先制したものの逆転されコールド負け。南平は
その年春季大会でも勝ち抜き修徳を破ってシード校になった。
 きたさんのひとことにも書いたが、この代の子は春に甲子園見学に出かけ
た。甲子園を実感している子たちなのだ。

 そして、ついに館高校での最後の夏の大会を迎える。この代はエースが
2年生。大学進学後もクラブチームで硬式野球を続けている。チーム打率
は、3割を越え、どこからでも得点できるとんでもないチームになった。
見た目はたいしたことがないが、どんな高校と対戦しても確実に得点でき
るのだ。大いに期待していた。そして、抽選会。くじを引いた主将から電話
があった。声が暗かった。

 「1回戦は、日大三高で勝つと拓大一高です。」日大三高は、チーム内が
ガタガタで秋季大会も1回戦負け。しかし、4月から、あの小倉全由監督が
就任していた。日大三高出身で、関東一高を甲子園に導いた名監督。昨年
はついに全国優勝監督となったあの小倉監督が率いていた。たった3ヶ月
でチームが激変。強くなってしまった。その日大三高と1回戦で対戦するこ
とになった。正直まいったが、頑張るしかない。

 試合当日は、小雨模様の昭島球場。いきなり先頭打者本塁打。そして
4番にも本塁打を浴び、苦しいスタート。しかし、館高ナインもひるまない、
点数を返していく。しかし、1番、4番に2打席連続の本塁打を打たれ、
劣勢のまま、5回になった。10点差以上つくとコールドだ。相手投手は、
140kmを越える剛球投手。それでも館高は果敢に打ち、センターオーバ
ーの3塁打などでその投手を引きずりおろした。しかし、4点をとった。

 この年、日大三高は準決勝まで進出したが、日大三高から5回で4点
をとった高校は、館高しかなかった。本当にこのチームは強かった。くじ運
だけが無かった。本当に悔しかった。

 そして、17期生の代、最後まで面倒を見ることができなかったのが、
悔やまれる。秋の大会では、2回戦で因縁の忠生高校との対戦。あと一歩
及ばず春季大会出場はならなかった。しかし、転勤後の夏の大会では、
見事2回戦を勝ち抜いてくれた。しかも卒業したあと、私に子供が生まれた
ときに16期から18期までの生徒がお祝いの会を開いてくれた。嬉しかった。

 2月に調布北に異動が決まったが、生徒に知らせたのは3月中旬。突然の
ことでショックの子もいた。東京都の教員は、絶対異動しなくてはならない。
しかたのないことなのだ。13期生の生徒を中心に、送別会も開いてくれた。
「また、OB会で会おう」といって別れた。

 私の館高校時代が、終わった。

 先日、館高校と練習試合をした。監督は教え子。部員数10名。すべて3
年生。館高校は、今年から募集停止。平成17年から新しい単位制高校と
して生まれ変わるのだ。つまり、館高校としての本当に最後の大会になる
のだ。いいチームだ。ぜひ頑張って欲しい。

 大規模校で1クラス50名、30クラス全校生徒1500名の学校がガランと
しているのだ。そして、これから館高校と試合をすることがないと思うと
涙が出てきた。母校が無くなってしまうような気がする。その夜は館高一緒
に野球をやり、何かとお世話になった先生と飲んだ。感慨無量だった。

(02 5/10)
私と野球(8)  調布北高校へきて

 5年前、調布北高に異動が決まった。転勤先が調布北高に決定する
までには、紆余曲折があり最終的には2月中旬になっていた。

 館高校時代の同僚が1年前に移動していたので、野球部の状況など
は少し聞いていた。熱心な先生のいることもわかっていた。春休みから
連絡を取ってみたが、なかなかつながらない。考えてみれば関東村で
練習しているのだ。

 ところが、北高での1年目のクラブ顧問はラグビー部になっていた。
異動1年目は希望が通らないのだ。しかし、ラグビー部は廃部寸前。
部員数も少なく指導者もいない。私は、顧問でなくても野球部の練習に
参加することにした。着任式でも生徒に向かって「私は野球がやりたくて
教員になりました。ラグビー部のみんなには悪いが、野球部の練習に
出させてもらいます。」と宣言した。体育館がどよめいた。

 顧問でもない教員が、練習に参加したり試合に行ったりしても何の
手当もでない。(顧問であってもすずめのなみだ程度だが)
代休などもない。それでも好きなものは好きなのだ。

 着任当時のチームは、投手がしっかりしておりまとまっていた。夏の
大会では、3回戦で日野台高校にサヨナラ負けはしたがいいチーム
だった。毎週のミーティングで練習内容を確認し自分たちで練習して
いく方針は、いいものだと感じた。しかし、パーマやピアスなども制限
もなく、練習着もだらしなく、どこかしまりがない雰囲気もあった。 

 顧問でもないのに、練習に参加し大会にも助監督としてベンチ入り。
合宿にも参加。となると校内的に問題も出てくる。なかなか難しい。

 1年間、顧問でなくても野球部に関わった私は、2年目晴れて野球
部顧問になることができた。野球部の中では部長という立場になった。
結婚後、館高ではずっと監督であったが、北高での2年間ある意味
責任のやや少ない立場で気楽に生活できたのが幸いしたのか。この
間に子宝に恵まれた。何が功を奏するのか分からないものだ。

 2年目のチームは、最上級生が4名。ほとんどが2年生中心だった。
合宿には参加しなかった2名が2年秋から入部した。このチームは
夏の大会では、清瀬東高校に31−5の大勝。新聞の見出しにも
「調布北爆発31点!」の文字が並んだ。しかし、3回戦で南平高校
に完敗。

 そして、新チームがスタート。その時ふたごが生まれた。私は部長
という立場でもいいかな。という気になっていた。子育てが始まり、
今以上に大変になる中で監督をしていくのは相当な苦労をするだろう
と思ったからだ。ところが、前監督から「監督をやってください。」という
言葉がでた。「え!」と一瞬思ったが、せっかく生徒たちと毎日つきあ
って行くのだったら監督をした方が絶対にいい。監督をさせてもらうこ
とにした。いままでに野球で関わりを持った方々からも「結婚して子供
ができても今のように野球バカでいられたら認めてやる。」といわれて
いた。結果として実際にそうなっても私は変わらなかった。不思議だ。
 しかし、考えてみれば野球をやらせてもらえる家族に感謝しなければ
ならなかったのだ。みんなが健康で、私の野球に対する気持ちを理解
してくれる素晴らしい家族がいるから、野球ができるのだ。感謝!

 そして、北高での監督生活がついにスタートした。

 (02 8/13)
松井5敬遠から10年、明徳義塾優勝

 2002年の夏の甲子園優勝は高知明徳義塾高校だ。明徳義塾は、部員
118名、そのうち高知出身者は、3名。ほとんどが寮生活。6部屋に分かれ
24名ずつの大部屋。プライバシーもない。3年間野球づけの「野球道場」で
の生活。5期連続の甲子園。毎回優勝候補にあげられながら、今年まで
決勝にも進んだことがなかった。

 10年前、3年生の松井秀喜(現巨人)のいた石川星陵高校と対戦し、
勝利のために馬淵監督は、5打席すべて敬遠という采配をふるい、日本中
を巻き込む大騒動となった。私自身は、勝利を目指す監督であればしかた
がないと思っている。しかも勝利を求められている私学の監督としては、
負けたら自分の職を失うことになる。私のような都立の高校の監督で負け
続けてもまだ監督を続けさせてもらえる状況とは違うのだ。厳しい。
 都立高島高校の監督の柘植先生は、日大桜ヶ丘時代、監督自身が選手
として全国優勝を経験している。その監督さんが「都立は気楽でいいですよ」
ともらしていた。伝統ある高校や強豪校の監督はどれだけの精神的な圧力
があるか分からない。

 その5敬遠以来、明徳は勝てない。あと一歩踏み出せないでいた。4年前
あの松坂大輔(現西武)を擁する横浜高校に初回6点を奪いながら、大逆転
負けで決勝進出を逃した。寺本投手(現ロッテ)を擁しての挑戦はベスト4で
終わった。

 作家の渡部和己さんは、明徳義塾は「野球の神様に許してもらえないのだ」
といっていた。「明徳は絶対優勝しない。」と。しかし、この10年でいろいろな
苦労があったのだろう。信念は変わらないものの「選手を信じる」気持ちを
持ち始めた馬淵監督。インタビューでの受け答えも変化がでてきた。
「勝ち負けは関係ない。いい試合がしたい」

 そしてついに野球の神様は許してくれたのだろう。本当におめでとうござい
ます。これからも修行は続くでしょうがいいチームを作ってください。

 5敬遠をされた松井選手も「いまではいい思い出です。負けたことは悔しいが
5敬遠は打者としての誇りです。本当におめでとうございます。」とコメントした。

 5敬遠の呪縛から解き放たれた明徳義塾の野球は、これからどんな風に
進化していくのだろうか。本当に楽しみになってきた。しかし、どんなチームも
練習が基本。優勝投手の田辺くんも言っている。「練習は、うそをつかない」

 さあ、北高も頂点目指して、練習、練習だ!

 (02 8/22)
 
神宮の土

 甲子園で負けたチームの選手が、一生懸命ベンチの前で甲子園の土を集め、
スパイク入れに入れているシーンがある。いつから始まった行事かしっかりと
把握していないがじーんと来る場面だ。

 まだ、沖縄がアメリカであったころ、甲子園にやってきた球児が「甲子園の土」
を持ち帰ろうとしたが、検疫で沖縄に持ち込むことはできなかったという逸話も
ある。

 あの甲子園の土は、土と砂のブレンド。管理人さんたちの心意気が伝わるほど
心を込めて作られている。産地を吟味し水はけも考えられているのだ。土のグラ
ンドの中で甲子園は最高のコンディションが保たれている。「甲子園の土」として
持ち去られる量は実は、相当なものらしい。

 実は、私は個人的に泣きながら土を集める選手を見ているより、まわりのカメラ
マンの行動を見るのが好きだ。真剣な表情。寝ころんで
泥だらけになってもナイ
スショットのためなら関係ない。すごいプロ根性を感じるのだが、なぜか面白い。
人間の職業とは何か。考えさせられるのだ。

 さて、私が高校生の頃新聞に「神宮の土」という記事がでた。私の高校の2年
先輩でプロからも誘いが来た投手である。現在も高校野球に携わっている。まだ、
神宮球場が土の時代である。神宮が人工芝になったのはその7年後ぐらいである。
その先輩が、下級生だった頃私の母校が、準々決勝まで駒を進め桜美林高校に
0−1で破れた。9回2死2塁から、ヒットが出たが本塁寸前で憤死。ゲームセット。
 東京の高校球児のあこがれはある意味「大学野球のメッカ神宮球場」である。
私が高校2年から東西東京に分かれ、数年間は開会式を歩くだけの球場となった。
西東京の決勝が八王子市民球場の時代もあったのだ。 現在では、西東京大会
は準決勝から神宮。2年に一度は開幕戦を引き当てれば神宮でプレーすることが
できるが、当時も神宮で試合ができるのは幸運であると言えた。
 その神宮球場での戦いが終わったとき、「神宮の土」を集める選手がいた。
それが、私の先輩である。甲子園では当たり前の行動は、地方大会ではかなり
目立った行動だったらしく、新聞社が取材し次の日の新聞紙面をかざった。
 私はその時は入学していない。先輩が3年生になったとき後日談としてもう
一度取材された記事を読んだのだ。

 地方大会で土を集める選手は、まずいないだろう。しかし、その先輩は集めた。
ばかげたような冗談のような話だが
何か熱いものを感じるのだ。野球は泥だらけ
になって投げ、打ち、走り一つのボールを追いかけるスポーツ。
土への思いは
強いのだ。汗と涙のしみ込んだ土。土は人間を、いのちをはぐくむのだ。

(02 9/20)
野球をプレーし続ける男たち

 先日、このホームページのリンク集にもある硬式野球のクラブチームの祝賀会
に参加した。野球を好きということでは誰にも負けない自信がある私だが、この
倶楽部の人たちも相当に好きなのだなと感じた。違う職業を持った人たちが集ま
るクラブチーム。その大変さを思うと頭が下がる。しかし、幸せなそして不思議な
気分になれた祝賀会だった。

 硬式野球が好きな人が硬式野球をプレーしたいと思った場合、どうしたらいいか
というと少年であればリトルリーグやポニーリーグなどに入る必要がある。中学で
あれば、シニアリーグなどやボーイズリーグに入らなくては実力を試すことさえ
できない。そして、高校では、硬式野球部に入らなくてはならず、大学では体育
会系のクラブに入らなくては硬式野球を続けることはできない。

 運良くそこまで続けられたとしても普通はそこまでだ。その後はノンプロつまり
社会人野球か職業野球であるプロ野球しかない。私が大学を卒業するころは
今のような企業スポーツが見直される時代ではなく、リストラされる時代ではない
のでクラブチームはあまりなかった。好きな野球を続けるには自分としては高校
教師しかなかったのだ。

 今は、不況によるリストラで真っ先に整理されるのがスポーツ選手。スポーツで
活躍することで企業イメージアップを。という企業の考え。不況になれば維持費の
高い野球はすぐに整理される。そうしてあぶれた人たちは野球をあきらめきれずに
クラブチームを作り始めた。まさに手作りのチームつくり。企業スポーツとは正反
対のチームだ。野球ばかりでなく、アイスホッケーのクラブチームも話題になった
ことがある。日光アイスバックスだ。がんに侵された代表者がチーム維持に奔走
する姿が印象に残っている。

 祝賀会を行ったクラブチームは創立7年目。仕事を持つ人。大学で野球部に
所属していない人。大学を出て教員になりたいがまだ合格していない人など
いろいろな立場の人たちが集まって、練習場所を探し、公式戦は平日に行われ
るので休暇をとって試合に参加する。道具・交通費などすべて自腹であるから
大変だ。それでも硬式野球をやりたいのだ。

 そのチームをまとめる監督やスタッフの方々の苦労・尽力も大変なものだ。
学校も仕事場もまったく別々の人たちへの連絡、連盟との交渉・会議出席・
オープン戦などの手配など並々ならぬ苦労だと思う。

 7年間の積み重ねで東日本のクラブチームの大会で優勝した。全国には3つ
の大きな大会があるそうだ。ぜひ、クラブ日本一を勝ち取ってほしい。そして、
強豪企業がひしめく都市対抗野球に出場してほしい。昔、オール足利という
クラブチームが、日立製作所に勝ったことがある。東京ドームに応援に行き
たい。これまた、夢舞台である。

 野球をやめられない人たち・プレーし続ける人たち。たくさんのクラブチームが
ある。これからも野球を続けてほしい。エールを送ります!

(02 10/22)
桑田真澄投手復活の陰に古武術あり

 2002年のシーズンの最優秀防御率で表彰され、日本シリ−ズ第2戦も好投
して日本一に貢献した桑田真澄投手(34)。ひじの手術後はぱっとせず桑田も
もう終わりかと思われていたのが嘘のような活躍。どんな秘密があったのか。
新聞やテレビでも話題になっている。

 高校1年からPL学園のエースとして活躍。1,3年夏は全国制覇。ドラフト1位
で巨人入団。その後も活躍したが、ケガによるひじの手術をしてからは、良い成
績は残せていない。ここ数年は、中継ぎ、押さえ、敗戦処理など先発からはほど
遠い。引退も間近かかとまで言われていた。

 その桑田が、武術稽古研究会・松せい館を主宰する甲野善紀氏(53)と00年
春に出会う。野球界には走り込みや千本ノックが能力を引き出すと信じる「根性
野球」か、アメリカ流の「科学的」なトレーニングしかなかった。

 甲野氏の技と説明はそれとは全く違った。「例えば、小魚の群が瞬時に方向を
変えるような動き。ためを作らず、ねじらず、同時並行的に体を捌(さば)く。そう
すれば、イルカやマグロが反転するより速いでしょう。」

 この言葉を聞き、1週間後に入門。桑田は古武術を体験することになる。いまま
でのねじってパワーを引き出すのとは正反対の世界。これは、30過ぎた選手生
命に革命をもたらす可能性があった。しかし、実際に古武術の動きを野球に応用
するのは容易ではなかった。昨年は結果も出せない状況。本当に引退の二文字
が騒がれるほどだった。

 しかし、今年就任1年目の原辰徳監督に「先発」で行くぞ。と言われ、その投球
が開花する。前半はなかなか好投しても打線の援護が無く勝てなっかたが、最終
的は、12勝をあげ、最優秀防御率に15年ぶりに輝いた。

 「ねじらない、ためない、うねらない」といっても実際には「ため」は必要だそうだ。
ただ、ねじらなくても「ため」はできる。重力つまり体重を使う。リリースポイントに
だけ体重を伝えるのだそうだ。

 古武道を野球に応用するなど常人では考えられない。桑田という超一流の人が
感じることができる領域だ。桑田投手に説明されても凡人には応用もできそうに
ない。野球道を追求する求道者なのだろう。

 彼のHPでは「シンプルでエレガントで体に負担のない方法を研究しているだけ」
と語っている。何事も「シンプル・イズ・ベスト」、でもなかなかできない。

 このところ、清原に代表される科学的トレーニングがはやっているが、なぜかケガ
が多い気がする。パワーを引き出すことはできても体全体のバランスが崩れている
のではないだろうか。松井はそうしたトレーニングは一切やっていないそうだ。それ
で連続試合出場歴代2位。4番で全イニング出場第1位。持って生まれた体の強さ
なのかもしれないが、古武術の動きを体得することは動きをしなやかにすることは
間違いない。凡人にも応用できるほどに解説してもらえる日が来て欲しい。

 来年も「ねじらない、ためない、うねらない」桑田投手の活躍を期待したい。

 次のHPにもくわしくでています。興味がある方は見てください。
   http://www.be.asahi.com/20021019/W14/0029.html (上)
   http://www.be.asahi.com/20021026/W14/0029.html (中)
   http://www.be.asahi.com/20021102/W14/0029.html (下)

(02 11/5)
 
都立高校からプロ野球

 今年のドラフト会議(新人選択会議)で巨人の8巡目で、都立日野高校の横川雄介
捕手が指名され、昨日12月3日に仮契約をすませ、晴れて都立高校生がプロ野球
しかも日本一の球団読売巨人軍に入団することが決定的になりました。
 
 横川君のいる日野高校とは練習試合もしたこともあり、素晴らしい選手であることは
認識していましたが、まさかプロの指名を受ける、しかもそれが巨人とは信じられませ
んでした。聞くところによれば、横川君は日体大のセレクションで不合格となっていた
そうです。その選手を指名した巨人は何を基準に選んだのか。これで、阿部慎之介
捕手が正捕手を不動のものにした2002年のドラフトで都立高校生を巨人が指名する
意味が何なのか。私にはわかりません。それほど印象が強かったのでしょうか。

 しかし、プロ野球しかも球界の盟主巨人に指名されるという栄誉は誰でも経験できる
ことではありません。このチャンスをものにする気持ちと実力があれば、もしかしたら
阿部をしのぐ捕手に成長することだって無いとは言えません。ぜひ頑張って欲しいと
思います。マスコミから取材されるのも入団発表の日までと決まっています。いつまで
も取材される逸材であって欲しいです。

 横川君の前に都立高校からプロ野球に入った選手がいます。松本基淳君です。
実は私の高校の3年後輩で高校3年の時に東京でベスト8に勝ち進んだ時の左腕の
エースでした。その代の捕手の林君とともに立教大学に入らないかと誘われましたが
江川卓選手の空白の一日事件の影響で巨人がドラフト会議をボイコットした年に
ドラフト外で巨人に入団しました。本人は「大学は勉強するところ、せっかくプロに
声をかけてもらったならチャレンジしてみたい」と入団しました。ドラフト会議をボイコ
ットした巨人には指名権はなかったのです。都立高校生としては初のプロ野球選手
であったのですが彼は巨人に指名されていません。ですから今回の横川君が初の
都立高校として指名された選手になりました。その後、松本君は、1軍に一度も上が
ることなくイースタンの成績が0勝2敗。王監督時代には、打撃投手を務め優勝に貢
献しましたが、引退しています。やはり厳しい世界です。

 今回の横川君の指名でインタビューを受けることが増えましたが、松本君の胸中は
いかに。と思います。

 都立だけでなく、例えば国立大学からプロ野球といえば、東京大学からロッテに
入団した小林至投手が思い出されます。前回の選挙に立候補していました。埼玉の
進学校川越高校から筑波大学の理系に進んだ杉本君もオリックスに入団しました。
東京学芸大学の栗山英樹さんも国立大学からヤクルトへ入団。しかし、栗山さんは
高校はあの創価高校です。都立高校というのはやはり特別なことです。大学野球で
さえ、都立高校生が名を連ねることはあまりありません。そんなことからも今回の横川
選手の巨人入団は都立高校にとって夢の存在であるプロ野球への道をつくってくれた
ことは間違いありません。

 都立高校が甲子園出場を目指すことだけでなく、プロ野球を目指すことが決して
夢でなく、目標になってきたのだなと思います。

 ファイト都立高校!行くぞ甲子園!行くぞ!プロ野球!

(02 12/4)
松井秀喜ヤンキースと正式契約!

 元巨人の松井秀喜選手が、ついに名門ニューヨーク・ヤンキースと正式契約した。
優勝の決まった翌日に、FA宣言し「メジャーを目指す」と苦痛をものぞかせた会見
から、代理人の問題があり、ヤンキースと巨人の関わりを絶つために頑張った松井。
ビートルズ以来という300人を超える報道陣がいる中での会見はいつになく緊張し
ていたがピンストライプのユニフォームにそでを通したときのうれしそうな彼の姿は
まさに野球少年が夢を実現したという顔。印象的だった。本当におめでとうといいたい。

 松井選手を生で初めて見たのは、12年前?の甲子園。夏休みの一日。夜行バス
で大阪までいき、阪神電車で甲子園へ。前の年にすでに1年で石川県の星陵高校
の4番を打っていることは知っていた。準々決勝の試合だった。アイボリーホワイトの
星陵のユニフォームを着た松井は、スタンドから見てもでかかった。強烈な存在感。

 その次の年には、あの明徳義塾の5打席5敬遠事件が起きた。それほど相手を震え
上がらせるぐらいに1年でさらに成長したのだ。しかもすごいのは報道陣から何を聞か
れても感情的にならず冷静に答えたのだ。人間の器の大きさが違っていたのだ。

 ドラフト会議では、長嶋監督が何球団も競合したなか当たりくじを引く強運。
そして巨人入団後の松井は、着実に成長していく。こんなに順調に大きくなっていく
選手はなかなかいない。強靱な体だけでなく精神的にも安定している。清原のような
ドラマチックさはない。昔で言えば、華やかな長嶋茂雄に対する孤高の王貞治の
雰囲気。4番での全イニング連続出場記録も更新し、ホームランも50本をこえ、
3冠王こそ逃したものの日本球界の頂点にたっている。まさにゴジラだ。そのゴジラ
松井が日本を捨てて自分の夢を実現するためにメジャーに進出する。すごいことだ。

 昨年の日米野球で、活躍できなかったため記者会見の場でも質問されていたが、
私は全く心配していない。最初は苦労するかもしれないが必ず松井ならやってくれる
はずだ。なにしろ日本一の打者がメジャーに行くのだ。活躍しないわけがない。
イチローがメジャーに行ったときにいろいろ言われたが、松井とは別の意味で日本一
の打者であるイチローはしっかり成功している。

 松井の優しい性格が、不安だという人がいるが全く問題ない。松井のレベルは
アメリカだろうが群を抜くはずだ。よくバリー・ボンズと比較されるが、アメリカにも
ボンズは一人しかいないのだ。そんな世界一の選手と今から比較しても意味がない。


 メジャーは試合数も多く、移動距離も半端ではない。大丈夫かという質問もでた。
松井は続けて出場していくことができるところが自分のセールスポイントだと答えた。
松井のお父さんが「続けていけることが才能だ」といったが、彼はまさに秀でた才能
を持っているのだ。

 今年は、日本のプロ野球よりもメジャーリーグの視聴率の方が高くなってしまい
そうな予感がする。それでもいいじゃないか!本当に楽しみだ!

 頑張れ・松井秀喜!ボンズを越えろ!

(03 1/17)
私と野球(9)  調布北高校その2
 
 いよいよ調布北高校での監督生活が始まった。さっそく合宿があったが、4日目が
ちょうど退院の日に当たり合宿途中で東京に帰るということになった。顧問の先生に
わざわざ来ていただいて交代することになった。合宿中に生徒たちから男女の双子
用の服までプレゼントしてもらった。ありがたかった。

 退院して子供たちが家に来ると大変な生活が待っていた。24時間態勢なのだ。
今まで経験したことのない状況。何もしなくてもダイエットできる。

 さて、新チームには投手も2年生でふたり。1年生には東京でもそうはいない
スラッガーもいる。楽しみなチームになりそうだった。調布北の生徒はいい子が多い。
一生懸命練習するし、真面目だ。しかし、どこか自信がないように見える。勝負の
世界はそれでは勝てない。

 秋の大会は、日大二高ブロックになった。1回戦九段高校にコールド勝ちしたが
エースの制球がやや乱れた。2回戦の相手は日大二高。古豪ではあるがこのところ
勝てない。チャンスと思ったが生徒たちは最初から名前負けしていた。初回にエース
が乱れ、四死球や暴投などでなんと13失点。なすすべもなかった。

 その悔しさをばねに冬の練習にも熱が入った。春の大会はないので夏を目指す。
練習試合もそこそこの試合はできる。しかし、このチームには信頼できるエースが
最後までできなかった。そして、夏の大会では2年生が登板することになる。

 夏の大会は、初戦が都立四商。これまた古豪である。館高校時代の死闘が思い
出される。5月に練習試合をして勝っているが当てにはならない。やってみなければ
わからないのが高校野球。大会では初回に先制したものの打球が3塁ベースに
当たったために外野まで達せずもう一点がとれなかった。この1点が響いて4−5の
惜敗。2年生が良く投げたが援護がなかった。最後に背番号1が登板し、意地を見せ
秋のエースも代打でヒットを打つ。やはり3年生はどこか違う。

 あっという間の夏の大会。新チームがスタート。この代の主将は素晴らしいキャラ
クターだった。いままでは野球に対して真面目すぎる主将が多かったが、この代は
不真面目ではないのだが気分転換の上手な子だった。自分のポジションにもこだ
わりはなく、でられればどこでもいいというスタンス。ケガをしたら無理は絶対に
しない。そして、チームを盛り上げる話術を持っていた。この代から坊主、そして
全力疾走を目標にすることになった。

 合宿でお世話になる野沢北高校の監督さんにも「田舎くさいチームですね」と
いわれた。泥臭い感じ・最後まであきらめない雰囲気があったのだろう。

 そして、迎えた秋の大会。早実ブロックになったためなんと会場はいつも練習して
いる関東村なのだ。ホームで野球をする感じだ。ただ大問題があった。なんとこの年
の修学旅行は9月第1週になったのだ。組合せでいえば1回戦を勝ったあと修学
旅行にでかけほどんど練習できないまま、春季大会の出場権をかけて2回戦を
戦わなくてはならないのだ。猛反対したが校舎改築などの問題もあり、土曜だった
2回戦の日程を日曜にしていただくのが精一杯だった。組合せは1回戦戸山高校、
2回戦府中東、準決勝文京高校だった。

 1回戦の戸山高校は5回コールドでしりぞけた。そして修学旅行から帰っての
2回戦はいつも練習試合をしていただいている府中東。旅行の疲れも見せず、
5回までに8点を奪いコールドかと思った試合が相手4番の満塁本塁打が飛び出し
気がつくと7回で12−8と逆転されていた。そこで東京を代表するわが4番が
起死回生の満塁本塁打を放ち同点。12−12となって最終回に突入する。北高の
投手はエースから夏のエースに代わった。3年生には打たれない遅球が打たれる。
相手の4番にこの試合2本目の満塁本塁打が飛び出し16−12。万事休すかと
思われた。

 しかし、ドラマが待っていた。わが4番の前にふたりの走者がでた。本塁打が
でても1点差だ。その本塁打がでた。レフトフェンスを遙かに越える大本塁打。
いっきに流れが北高に傾き四死球や安打で押し出しで同点のあと、1年で唯一
レギュラーの1番がセンターへサヨナラ安打で17−16。これぞ死闘というの
だろう。負けて泣くのではなくみんなが勝って泣いていた。それほどの試合だった。
春季大会の出場権を獲得したのだ。

 その死闘の1週間後、文京高校との対戦になった。相手投手は横手から140
kmの速球を投げる好投手。しかし、彼は登板しなかった。雨が降る悪いコンディ
ションの中の試合。雨が相手にとっていいときに降る。負けた気はしなかったの
だが終わってみればコールド負け。北高のエースの方のスタミナもまだなかった。

 冬の練習も充実していた。春季大会に出場できることはこんなにも違うものか。
そして、春の大会を迎える。1回戦國學院久我山、2回戦東海大菅生、3回戦早実
というすごいくじ運。これが夏の大会にも結びついた。

 雨のため、予定が遅れた駒沢球場。主将がけがでショートを守れないため2番手
のショートが先発。主将は1塁。しかし、そのショートがこの試合で大変身。外野を
越える長打までうち、そのままレギュラーで2番。いまでは大学でも続けている。
先制されたもののエースが踏ん張り、8回に3−4と1点差まで詰め寄りなおも
チャンスが続いたところで相手捕手が1塁へ素晴らしい牽制球。チャンスがとぎれ
9回にはだめ押しの1点を取られて3−5の惜敗。しかし、大きな自信を得ることが
できた。

 大会後の春の練習試合では、エースはなかなか調子が上がらない。誰に主戦を
任せるのかはっきりしないまま夏の大会に突入した。

 抽選日。電話を待っているとすごい組合せの報告があった。1回戦実践学園、
2回戦工学院大付属、3回戦桜美林というのだ。しかも1回戦は開会式の次の日。
相手がすべて私立。しかもあわただしい日程。厳しい条件だ。このころ主将は
外野の転向していた。左の1塁手の打力がアップし外野に追いやられていた。
まだ、経験不足で不安を抱えた外野転向だった。

 そして、迎えた1回戦。その朝、監督である私が骨折してしまったことは「骨の
折れる話し」に書いたが、実践学園との対戦。1回表2死2塁で4番がライトへ
痛烈なヒット。ここで主将の好返球。本塁寸前タッチアウト。このプレーが試合を
決めたといってもいい。その後相手はホームにつっこまなくなった。

 1回裏の北高の攻撃は同じ状況でレフトへタイムリー。レフトの選手が後ろに
そらし一気に2点を先取。その後1点を取られたが主将がセンターへタイムリー。
ガッツポーズがいまでも目に焼き付いている。そして、後半は相手の攻撃が
厳しくなり苦しい展開。最終回も2死1塁で代走がでた。そこで、それほど肩の
良くない北高の捕手が奇跡の送球でゲームセット。ナイスゲームだった。

 2回戦は3日後。エースのスタミナはもうなかった。工学院戦では切れがなく
7回コールドで敗退。このスタミナをどう付けるかがこれからの課題になった。

 この代は、勝つ楽しさを味わうことができ春の大会にも出場した。これから
もっといいチームができそうな予感がしたのだが。そうはうまくいかないのだ。

(03 8/16)  
松井秀喜選手の1年

 ニューヨークヤンキースに今年入団した松井選手。渡米前の周囲の期待と不安
を背負って164試合の全試合に出場し、ポストシーズンも全試合に出場。
Wシリーズでは4番を打つ快挙を成し遂げた。本当に素晴らしいことだ。

 そのあとの記者による新人王には選出されなかった。ヤンキースのスタイン・
ブレーナー・オーナーは激怒している。いままで野茂・イチロー・佐々木選手は
新人王を獲得している。成績からいえば文句なく松井が新人王をとっていい
はずだ。悔しい気もするが、いままで新人王をもらった選手も日本では超一流の
人たち。もらって当たり前のような気がする。それでも受賞できていたのはまだ
日本を見下していたからだろう。しかし、ついに松井がメジャーに行ったことで
これだけ実績のある選手が新人王をとることに新人王の意味からして疑問を
持つようになった。つまり、日本を認めさせたということと考えたい。松井選手に
とってメジャーの新人王をとることはそれほど重要なことではない気がする。
来年はぜひタイトルをとってイチロー・野茂を上回るメジャーリーガーになって
欲しい。絶対に大丈夫だと思う。

 さて、私が星稜高校の山下監督にお会いしたその日にオープン戦で松井選手
はホームランを打った。副校長室でお話ししている間中電話がかかりっぱなし
だった。何かやってくれるのが松井選手。山下監督が「運のいい子」というが
彼の人柄や行動から自分で「運」をつかんでいるのだろう。

 シーズンが始まってあまり調子がいいわけではなく本塁打もでず、ゴロしか
打たない松井に対してマスコミは「グランダー」(ゴロを打つ人)と命名した。
そのことに対して松井は「僕は人が書くことを止められません。僕は自分の
プレーをするだけです。」と言い切った。このところ海外へ進出する日本人は
ある意味日本的でない人が多い。野茂、イチロー、中田などどちらかといえば
口数は少なくマスコミ嫌いという感じだ。インタビューにもあまり答えず勘違い
されることも多々ある。その中にあって松井は毎日毎日きちっとインタビューに
答えまわりに気をつかっている。自分のことだけを考えていればいいと思うが
これも彼の性格。その人柄はチームメートにも伝わり本当にあっという間に
ヤンキースの一員になってしまった。しかし、まわりに気をつかっても自分は
崩さない。マイペースでやり続ける松井の姿勢は自分をしっかりもった本当に
強い人でなくてはできないと思う。

 大好きな夏には猛チャージを見せ、プレーでアメリカそして日本にアピール
した。打率287、HR16、打点106は故障の多かったヤンキースの中にあって
輝いている。日本にいるときの成績から見れば物足りないかもしれないが
全試合に出場し地区優に貢献し、リーグチャンピオンシップでは日本で見せた
ことのないガッツポーズを見せた。松井自身が野球を楽しんでいる様子が
伝わってきた。本当にWシリーズ出場に大きく貢献していた。

 日本人初のWシリーズでのホームランを打ったバットは野球殿堂入り。
すごいことをやってくれる。しかも最後の2試合は4番だ。無安打で終わったが
強烈な印象を残してくれた。Wシリーズ優勝は来年の楽しみとしよう。
1年目で全部とってしまったら楽しみがなくなってしまう。

 目を日本の野球に戻すと、巨人は松井の穴を埋められず惨敗。阪神が
18年ぶりのリーグ優勝。ダイエーとの日本シリーズも楽しかったが、人気には
さらに陰りが増した感じだ。しかもリトル松井も井口も高津もメジャー指向。
超一流選手の海外流出の歯止めがかからない。松井選手のおかげで毎日
メジャーリーグを見ていると日本のプロ野球とのパワーの差・肩の強さ・
柔らかさの差が歴然としてプロ野球を見る気がしなくなってきた。その上、
ダイエー小久保選手の無償トレードや近鉄ローズ選手の獲得などでまた、
巨人が訳のわからないことをしている。1リーグ制になってしまうのだろうか。

 日本の野球を考えると寂しくなるが、来年もヤンキース松井選手の活躍を
期待したい。また、イチロー・野茂・長谷川・大家など日本人選手の活躍も
期待します。来年も最後まで野球を楽しませてください!

(03 11/14)

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