プロ野球70周年! |
1934年に発祥した日本でのプロ野球が、今年70周年を迎えている。日本最初のプロ野球球団である巨人軍70周年記念イベントも予定されている。 職業野球というようにひとつ下にみられていた職業野球を今の趨勢までもっていった色々な人たちの努力は並大抵のものではなかっただろう。 NHKでもプロ野球70周年の記念企画として特集番組を一年にわたって放送するそうだ。先日BSを見ていたら、その第1集昭和22年「川上の赤バット、大下の青バット」というのをやっていた。私の年代ではあまり知らないが歴史的事実として知っていたので何となく見た。学生野球黄金時代だった時代に職業野球を日本の一大娯楽にまで持ち上げた2人の功績は大きい。そんな番組だった。 夜も遅かったので寝ようかと思ったら、第2集が連続して放送された。昭和33年「長島茂雄デビューの年」だった。ちょうど脳梗塞で倒れたばかりの時期だったので複雑だったが、私にとっていや日本中のひとたちのスーパースター長島茂雄のデビューの年の話だ。みるしかないと思って見続けた。 東京六大学の本塁打記録を破り、鳴り物入りしてきた長島茂雄。オープン戦でも活躍し開幕から3番打者をまかされていた。その長島のプライドをずたずたにした男がいた。金田正一である。ご存じ400勝投手。国鉄スワローズのエース。日本を代表する投手だ。戦後の貧困から逃れるには、歌手かプロ野球しかないといってプロ野球選手になったハングリー精神の塊のような金田投手。「こいつに打たれては食っていけない」と最初の対戦で全身全霊を込めて対戦した。ガンに冒された父親も観戦。最後に見た息子の勇姿だったそうだ。 4打席4三振はあまりに有名な話。その全投球が再現された。配球がすべて記録されている。映像は三振したところしかないが1打席から4打席まで全く違った配球。長嶋は前に打ち返すこともできなかった。これが、長嶋をさらに大きくし、金田も大きくしていく。ライバルの存在が人を大きくする。 日本シリーズでの西鉄ライオンズのエース稲尾和久との対戦も面白かった。既にオールスター戦で対戦しているはずなのに稲尾は全く覚えていない。なぜか?それはパリーグのキャッチャーが野村克也だったからだ。パリーグの投手は野村に自分の特徴を盗まれないようにということしか考えていないので対戦相手のことは覚えていなかったのだ。 さて、初の対戦で稲尾は外角・内角・直球・スライダーなどをなげ、長嶋の出方を探ったがボール球にはぴくりともしない。そして、得意球のスライダーを見事に2塁打された。何をねらっているかわからない選手なのだ。稲尾は考えた。「長嶋は何も考えていないじゃないか?」と。実際に長嶋はきた球を打っていたそうだ。たぐいまれな感覚を持った人なのだ。そして、稲尾はノーサインで対戦することにした。稲尾は投球直前に打者の動きを見て投げる球を変えられる投手だったのだ。長嶋の少しの動きから自分の投げる球を決めることにして見事、最も得意とするシュートで詰まらせて長嶋を牛耳った。 西鉄は3連敗のあと、4連投の稲尾の快投で大逆転で日本一に輝いた。「神様・仏様・稲尾様」という名文句が生まれた。 これから一年間、色々な伝説が特集されていくだろう。王の本塁打、巨人9連覇、西武黄金時代、1985年の阪神の優勝、江夏の21球、メイクドラマなど色々な題材があるだろう。楽しみに待ちたい。 (2004.03.10)
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