2005年10月のひとこと

生きること・死ぬこと!
 きたさんのひとことをCGIにしてから、結局書けないで一年が過ぎてしまいました。水谷先生の講演会について書いてから何も書かずにきてしまいました。今年はいろいろなことがあって掲示板や日記を書くだけで精一杯でした。まあ、言い訳ですが。

 さて、私は身近で人がなくなるのを幸い(?)なことに小学1年生の時に祖父を亡くしてから経験していませんでした。両親も高齢でしたが元気だったので、死ぬことを意識することがなく過ごしてきました。しかし、昨年から父が施設や病院にお世話になるようになり、介護などをするようになりました。そして、5月に父が眠るようになくなりました。88歳ですから天寿を全うしたということになりますが父の死というのは大きいものだと思います。父の葬儀まで焼関係で1週間ほどあったために弟といろいろな話ができたことは意味あることでした。私は長男ですからその後の葬儀・四十九日法要・埋葬そしていろいろな手続きなどはすべて私が行いました。その手続きがすべて終わったのは8月下旬です。本当に疲れました。

 父や母は必ず生きているという勘違いが破られたわけです。残された母もやはりショックを受けてがっくりきていました。私は仕事にしても野球にしてもいつまでもこの生活が続くもの考えていました。一昨年の野球セミナーでメンタルトレーニングの講習を受けましたが、そこでも死んだ時にどう人から言われたいかを意識するところから始まります。それをまさに実感することになりました。今の学校にあと何年いることができるのか、定年まであと何年なのかを意識して行動するようになりました。自分はどう生きたいのか、どう死にたいのかを考えるようになりました。

 漠然としたことしかまだありませんが、どう生きていこうかを考えること。毎日をどう生きていきたいのかを考えることは大切だと思います。人間いつ死ぬかわからないのだから一日一日を大切にしていかなければいけないと感じるようになりました。

 今、残忍な事件が多く起こっています。しかも低年齢化しています。インターネットを普及で人と人との直接のふれあいが不足している。しかも逆に直接的なふれあいを拒否するようになっている気がします。身近におばあちゃんやおじいちゃんがいれば、振り込め詐欺もないでしょうし、ゲーム感覚で人をあやめることもない気がします。電車男のような例もあるかもしれませんが、自分は他人のままでしかもだれかもわからない状態で話が進むというまか不思議な時代です。そんな時代だからこそ人と人のふれあいが大切。家族が大切になってくるのでしょう。自分の勝手な欲望に流されず、親が親としての役割を意識して子どもと接していけばまだ間に合うはずです。

 今回の父の死で、生きること・死ぬことを実感することができて良かったと思います。でも身内はいつまでも元気にいて欲しいと思いますが。みなさんはどんなときに生きること・死ぬことを意識するでしょうか?
(2005.10.09)

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